徳川家康の妻は 21人? それぞれの人生は…

浜松城

今川義元、織田信長、豊臣秀吉などの名だたる武将に仕え、ついには天下をおさめた徳川家康については多くの史料が残されています。

しかし家康の妻、側室であった女性たちについては不明なことも多く、意外に知られていないこともあるようです。

今回は、徳川家康の妻、側室の女性たちについてみていくことにしましょう。

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徳川家康の妻たちのプロフィール

築山殿朝日姫以外の女性は側室です。

家康との間に子供をもうけた女性は、【子女】の欄に名前と家康からみた続柄を記載しました。

 

築山殿 [正室=正妻]

【読み】つきやまどの

【別名】瀬名、鶴姫、駿河御前(するがごぜん)

【法名】清池院

【子女】松平信康(長男)、亀姫(長女)

【補足】

今川義元(いまがわ よしもと)の養女となり、今川家の人質であった岡崎城主の家康(当時は松平元信)と結婚しました。

岡崎城外の築山に長く幽閉されていたことから「築山殿」と呼ばれました。

息子の信康は、織田信長の長女・徳姫と結婚しました。しかし、築山殿と徳姫との折り合いは悪かったようです。

後に徳姫は父・信長に訴状を送り、これによって信長は、信康を処刑するよう家康に命じたというのが通説となっています。

そして、築山殿は家康の命令によって殺害され、信康は切腹しました。

古道

 

 

朝日姫 [継室=後妻]

【読み】あさひひめ

【別名】旭姫、駿河御前

【法名】南明院

【補足】

豊臣秀吉の異父妹です。はじめは佐治日向守に嫁ぎましたが、家康との縁組のために秀吉によって離縁させられました。

家康のもとに嫁いだときに朝日姫は 44歳、家康は 45歳でした。その後は病気がちとなり、47歳で亡くなりました。

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小督局 

【読み】こごうのつぼね

【名】万

【別名】於万の方、おこちゃ

【法名】長勝院

【子女】結城秀康(次男)

【補足】

もとは家康の正室である築山殿の奥女中でした。産んだ子供は双子でしたが、当時は「犬畜生と同じ双子腹」と忌み嫌う風潮がありました。そのため、もう一人の永見貞愛(ながみ さだちか)は家康の子として認められなかったといわれています。

正室の築山殿から嫉妬され、庭の木に裸で縛り付けられたという逸話があります。しかし、これは後に創作されたものであることがわかっています。

 

 

西郷局

【読み】さいごうのつぼね

【通称】お愛の方

【法名】宝台院

【子女】徳川秀忠(三男=第2代将軍)、松平忠吉(四男)

【補足】

最初の夫、二人目の夫(西郷義勝)には先立たれました。その後、西郷清員(さいごう きよかず)の養女として家康の側室となったので「西郷局」と呼ばれました。

美人で温厚な性格であり、家康からの信頼も厚かったといわれています。

なお死因については、正室の築山殿の侍女による殺害という説もあります。

 

 

西郡局

【読み】にしごおりのつぼね

【別名】西郡の方

【法名】蓮葉院日浄

【子女】督姫(次女)

 

 

お竹

【名】竹

【法名】良雲院

【子女】振姫(三女)

【補足】

出自が不明であり、武田信玄の娘であるという説もあります。

また、振姫を産んだのは下山殿とする説もあります。

 

 

お久

【読み】おひさ

【名】久

【法名】普照院

【子女】松姫(四女)

【補足】

松姫の母親は次に述べるお梶(英勝院)であるとする説もあります。

家康が死去した翌年に亡くなりました。

駿府城

 

 

お梶

【読み】おかじ

【幼名】おはち

【別名】お勝

【法名】英勝院

【子女】市姫(五女)

【補足】

とても聡明で、家康から寵愛を受けていました。

関ヶ原の戦い、大坂の陣には男装して同行したという逸話があります。

 

 

下山殿

【読み】しもやまどの

【名】都摩、津摩

【別名】秋山夫人

【法名】妙真院

【子女】武田信吉(五男)

【補足】

名前の由来は、甲斐国(かいのくに)下山を本拠としていた穴山信君(あなやま のぶただ)の養女であったことです。

 

 

茶阿局

【読み】さあのつぼね

【名】久

【法名】朝覚院

【子女】松平忠輝(六男)、松平松千代(七男)

【補足】

はじめは遠江国(とおとうみのくに)の鋳物師の妻でしたが、代官に夫を殺されてしまいました。この件を鷹狩に来ていた家康に直訴したことがきっかけで、家康の側室となりました。

この代官は処罰されましたが、美人であるお久に目を付けてのことでした。

また茶阿局はとても聡明で、家康の寵愛を受けました。

 

 

お亀

【読み】おかめ

【法名】相応院

【子女】平岩仙千代(八男)、徳川義直(九男)

【補足】

はじめは竹腰正時(たけこし まさとき)に嫁ぎましたが死別しています。

 

 

蔭山殿

【読み】かげやまどの

【名】万(まん)

【別名】お万の方

【法名】養珠院

【子女】徳川頼宣(十男)、徳川頼房(十一男)

【補足】

家康の側室となったのは 16~17歳の頃でした。蔭山氏広(かげやま うじひろ)の養女であったことから「蔭山殿」と呼ばれました。

帰依していた僧の日遠(にちおん:日蓮宗)が処刑されそうになったときに、家康(浄土宗)へ嘆願するなどして救ったという逸話があります。

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阿茶局

【読み】あちゃのつぼね

【名】須和

【別名】一位局、一位尼

【法名】雲光院

【補足】

はじめは神尾忠重(かんお ただしげ)に嫁ぎましたが死別し、後に家康の側室となりました。

小牧・長久手の戦いの陣中で懐妊したものの流産したといわれています。

大阪冬の陣では豊臣家との和議の成立に尽力するなど才知に長けていた女性で、家康からも厚く信頼されていました。

 

 

お梅

【読み】おうめ

【名】梅

【法名】蓮華院

【補足】

側室となったときにお梅は 15歳で、家康は 59歳でした。

 

 

お仙

【読み】おせん

【名】仙

【法名】泰栄院

【補足】

京都の上徳寺(雲光院が創立)には、泰栄院と雲光院の墓碑がならんで建立されています。

 

 

お夏

【読み】おなつ

【名】夏、奈津

【法名】清雲院

【補足】

側室となったときにお夏は 17歳で、家康は 56歳でした。

 

 

お牟須

【読み】おむす

【名】牟須

【法名】正栄院

【補足】

難産のために母子ともに亡くなりました。

名古屋城

 

 

お六

【読み】おろく

【通称】お六の方

【法名】養儼院

【補足】

日光東照宮に参詣した際に急死しましたが、そのとき 29歳の若さでした。

 

 

富子

【法号】信寿院

【補足】

法号の「信寿院」と俗名が「山田富子」であったこと以外の詳細はわかっていません。

 

 

三条氏

【読み】さんじょうし

【子女】三条氏が産んだ小笠原権之丞(おがさわら ごんのじょう)は、家康の隠し子といわれています。

 

 

法光院

【読み】ほうこういん

【名】松

【法名】法光院

【子女】彼女が産んだ松平民部(まつだいら みんぶ)も、家康の隠し子といわれています。

和傘

 

 

徳川家康の子供は全部で何人?

以上のプロフィールから、家康の子供についてまとめておきましょう。

  名前 備考
1 松平信康 築山殿  
2 結城秀康 小督局  
3 徳川秀忠 西郷局 3代将軍
4 松平忠吉  
5 武田信吉 下山殿  
6 松平忠輝 茶阿局  
7 松平松千代  
8 平岩仙千代 お亀  
9 徳川義直  
10 徳川頼宣 蔭山殿  
11 徳川頼房  
12 亀姫 築山殿  
13 督姫 西郡局  
14 振姫 お竹  
15 松姫 お久  
16 市姫 お梶  
  小笠原権之丞 三条氏 隠し子?
  松平民部 法光院

一般には、徳川家康の子女は 11男5女といわれています。

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