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「君が代」の歌詞の意味、由来、ロングバージョンなど

国歌の「君が代」の歌詞は、子どもにとっては難解だと思いませんか?

私は小学校のときに、歌いながら「さざれ石ってさざえと違うの?」と思っていました。

それでも短い歌なので、意味が分からないながらも覚えてしまうものなんですね。

今では、歌詞の意味はかえって「ひらがな」のほうがわかりにくく、スローテンポではなおさらです。

そんな君が代について、現代語訳、これは恋の歌なのかどうか、2番以降はあるのか、などについて考えてみました。

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君が代の歌詞の意味

まず、意味を考えるために歌詞をみてみましょう。

君が代は         皇祚連綿兮久長
千代に八千代に      万世不変兮悠長
さざれ石のいわおとなりて 小石凝結成巌兮
こけのむすまで      更巌生緑苔之祥

右は、第二次世界大戦中、日本が香港を占領統治した時期にあった、「君が代」の公式漢訳「皇祚(こうそ=皇位)」です。漢字のほうが分かりやすい気もします。

すべてひらがなにしたものも挙げておきましょう。

きみがよは
ちよにやちよに
さざれいしのいわおとなりて
こけのむすまで

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これを参考にして、現代語訳をしてみます。

なお、この現代語訳は私の意訳であることをお断りしておきます。何卒ご了承ください。

あなたの治世が
千年、八千年と続きますように
小石が集まって大きな岩となり
コケが生えてくるまで

さざれ石は細石とも書き、学術的には石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)とも呼ばれます。

これは、雨水で溶けた石灰岩中の炭酸カルシウムや水酸化鉄によって小石が凝結し、コンクリート状に固まってできたものです。

 

 

国家「君が代」の由来

 

君が代の作詞家

我が君は 千代にやちよに  さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで      (古今和歌集巻七賀歌巻頭歌)

これは、平安時代の『古今和歌集(こきんわかしゅう)』におさめられている短歌です。
現在の国歌の歌詞とは、初句が違うだけですね。
そして、作者は「詠み人しらず」とされています。

詠み人しらずとされるのは

  • 本当に作者がわからない
  • 作者の身分が低い
  • 匿名にする必要がある

などの場合です。

このため、君が代の作者は、平安時代の惟喬親王(これたかしんのう)に仕えていたとある木地師(きじし=木工職人)で、後に「藤原朝臣石位左衛門(ふじわらあそんいしいざえもん)」を名乗る人物という説があります。

歌が選ばれたものの、身分が低かったため「詠み人しらず」とされたというものです。

しかし、この説は伝承に基づいたものなので、真偽のほどは分かりません。

 

中世以降の君が代

鎌倉時代の歌集『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』にも、初句が「我が君は」の歌が記されています。

しかし、それは古い写本にみられるもので、時代が下るにつれて、初句は「君が代は」とされています。

鎌倉時代の初期には、他にも初句が「我が君は」の歌が作られていましたが、後には「君が代は」を初句とする歌が主流となっていきます。

この流行にともなって、詠み人しらずの「我が君は~」の歌も、「君が代は~」と初句が置き換えられたのではないかと推察されます。

つまり、それが現代の君が代の歌詞の誕生となります。

君が代は 千代にやちよに  さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

また、この歌は『古今和歌集』に賀歌(がか=祝いの気持ちを表した歌)として収められています。

ですから、恋の歌とする解釈のには無理があるでしょう。

やがて、この歌はおめでたい歌として賀歌には限らず、色々な歌集に祝いごとの歌として選ばれるようになりました。

そして、一般には「宴会の最後の歌」、「舞納めの歌」として使われていました。
『義経記(ぎけいき)』にも、静御前が頼朝の前で君が代を舞ったとの記述がありますね。

 

国歌としての君が代

幕末に日本は開国したため、外交儀礼の場で国歌が必要になりました。

そこで、1869年に国歌の前身ともいうべきものが作られました。
しかし、これは洋風の曲であったため日本人に馴染まず、普及しませんでした。

その後1880年(明治13年)に、君が代の歌詞に新たな曲を付けたものに改訂されました。

編曲したのは、ドイツの音楽家のフランツ・エッケルトでした。

これ以降、君が代が式典などで事実上の国歌として使われてきたのです。

そして、法律で正式な国歌と定められたのは、エッケルトが編曲してから約120年後の1999年のことでした。

国家「君が代」

 

 

君が代の別バージョン

 

第二十三 君が代
一 君が代は。ちよにやちよに。さゞれいしの。巌となりて。こけのむすまで
うごきなく。常磐かきはに。かぎりもあらじ。
二 きみがよは。千尋の底の。さゞれいしの鵜のゐる磯と。あらはるゝまで。
かぎりなき。みよの栄を。ほぎたてまつる。

これも、すべてひらがなにしておきましょう。

一 きみがよは ちよにやちよに さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで
うごきなく ときはかきはに かぎりもあらじ

二 きみがよは ちひろのそこの さざれいしの うのいるいそと あらはるるまで
かぎりなき みよのえいを ほぎたてまつる

これは、文部省が編集した『小学唱歌集』に採用された君が代で、1882年 から出版されました。
2番まであり、歌詞もそれぞれに補詞が行なわれて長くなっています。

2番の歌詞の元となったのは、『今撰和歌集(こんせんわかしゅう)』にある源三位頼政(げんざんみよりまさ)の短歌で、イギリスの作曲家のサミュエル・ウェブの曲を借りたとされています。

現代の君が代とは、メロディーが全く違いますね。

この曲が正式な国歌になっていた可能性もあったかと思うと、聴いていて不思議な気持ちになってきます。

 

 

 まとめ

  • 君が代の歌詞は、『古今和歌集』の詠み人しらずの短歌がもとになっています。
  • 歌詞の最初の部分が置き換えられたのは、鎌倉・室町時代のころと推察されます。
  • 現代の君が代の形になったのは1880年(明治13年)のことです。
  • 君が代が正式な国歌と法律で定められたのは1999年です。

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