Oops! It appears that you have disabled your Javascript. In order for you to see this page as it is meant to appear, we ask that you please re-enable your Javascript!

源実朝の和歌 20首 【現代語訳】付き

鶴岡八幡宮

源実朝(みなもとのさねとも)といえば、鎌倉幕府を開いた源頼朝の子でありながら 26歳(満年齢)で甥に暗殺されたという悲劇的な面に目が向きがちです。

しかし、正岡子規をして「第一流の歌人」「あの人をして今十年も活かして置いたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ不申候」と言わしめた実朝の和歌を忘れるわけにはいきません。

そこで、このページには、源実朝の和歌を 20首集めました。万葉ぶりが強く感じられる格調高い実朝の和歌を、是非じっくりと鑑賞してみて下さい。

スポンサーリンク

目次

源実朝の和歌について

源実朝が詠んだ和歌を 20首を選び、先頭の文字の五十音順に並べました。歌人将軍とも言われ、百人一首にも選出された実朝の素晴らしい和歌を是非チェックしてみて下さい。

なお、それぞれの歌には現代語訳を付けましたが、これは私の意訳であることをお断りしておきます。一般的な解釈、通釈とは異なるものもあることを何卒ご了承ください。

スポンサーリンク

 

源実朝の和歌 20首

 

秋ちかく なるしるしにや玉だれ のこすの間とほし風のすずしき

【現代語訳】秋が近くなった印だろうか、小簾(こす、おす)の間を通ってくる風の涼しいこと

【補足】「玉だれの」は「こす」にかかる枕詞です。

 

 

秋はいぬ 風に木の葉は散りはてて 山さびしかる冬は来にけり

【現代語訳】秋は去ってしまった。風で木の葉は散り果てて、山も寂しげになる冬がやってきた

 

 

天の原 ふりさけみれば月きよみ 秋の夜いたく更けにけるかな

【現代語訳】天を仰いで見ると月が清らかで、秋の夜がひどく更けてしまったなあ

【補足】安倍仲麿(あべの なかまろ)の次の歌が思い起こされます。

天の原 ふりさけみれば春日なる 三笠の山に出(いで)し月かも

 

 

出でていなば 主なき宿となりぬとも 軒端の梅よ春を忘るな

【現代語訳】(私が)出て行ったならば主(ぬし)のない家となってしまうとしても、軒端(のきば)の梅よ、春を忘れるな

【補足】実朝が暗殺された日、参拝に鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)へ行く直前に詠んだ歌です。そのため、吾妻鏡(あづまかがみ=鎌倉時代に成立した歴史書)では「禁忌の和歌」とされています。

この歌からは、菅原道真(すがわらのみちざね)のものが思い浮かびます。

こちふかば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ

 

 

神といひ 仏といふも世の中の 人の心のほかのものかは

【現代語訳】神と言ったり仏と言ったりするものは、世の中の人の心以外のものだろうか(いやそうではない)

鶴岡八幡宮の蓮の花

 

 

昨日まで 花の散るをぞ惜しみこし 夢かうつつか夏も暮れにけり

【現代語訳】昨日まで花の散るのを惜しんできて、夢かうつつ(=現実)か夏も暮れてしまった

 

 

暮れかかる 夕べの空をながむれば 木(こ)高き山に秋風ぞ吹く

【現代語訳】暮れかかっている夕方の空を眺めると、木が高くそびえる山に秋風が吹いている

 

 

木のもとに 宿りをすれば片しきの 我が衣手に花はちりつつ

【現代語訳】木の下にとどまっていると、片敷(かたしき)の私の袖に花が散り続けて…

【補足】片敷とは、片方の袖を体の下に敷いて横になることをいいます。

 

 

今朝みれば 山もかすみて久方の 天の原より春は来にけり

【現代語訳】今朝見ると山も霞んでいて、広々とした大空から春は来たのだなあ

【補足】「久方の(ひさかたの)」は「天(あま)」にかかる枕詞(まくらことば)です。

天の原(あまのはら)は「大空、天空」の他に「(神々がいる)天上界」の意味も持ちます。

 

 

月をのみ あはれと思ふをさ夜ふけて 深山がくれに鹿ぞ鳴くなる

【現代語訳】月だけを趣(おもむき)があると思っていると、山奥深くに隠れて鹿が鳴く

スポンサーリンク

 

 

時により すぐれば民のなげきなり 八大龍王雨やめたまへ

【現代語訳】時によっては(度が)過ぎると民の嘆きとなる。八大龍王よ、雨を止めたまえ

【補足】八大龍王(はちだいりゅうおう)は、古くから雨乞いの神様として祀られてきました。

 

 

ながむれば 吹く風すずし三輪の山 杉の木ずゑを出づる月影

【現代語訳】眺めれば吹く風が涼しい三輪の山。杉の梢(こずえ)がら出てくる月…

 

 

ながめつつ 思ふもかなし帰る雁 ゆくらんかたの夕暮の空

【現代語訳】眺めながら思いを寄せるのも哀しい、雁が帰る方角の夕暮れの空

 

 

萩の花 くれぐれまでもありつるが 月いでて見るになきがはかなさ

【現代語訳】萩の花が日が暮れる頃まであったけれど、月が出て(から)見ると無くなっているというはかなさ

 

 

春すぎて いくかもあらねど我がやどの 池の藤波うつろひにけり

【現代語訳】春が過ぎ去って幾日にもならないけれど、私の家の池の藤の花は散ってしまった

鶴岡八幡宮の寒牡丹

 

 

吹く風の すずしくもあるかおのづから 山の蝉鳴きて秋は来にけり

【現代語訳】吹く風がすずしくもあるか、いつのまにか山の蝉が鳴いて、秋が来たのだなあ

 

 

ほととぎす 聞けどもあかず橘の 花ちる里の五月雨のころ

【現代語訳】ほととぎす(の鳴き声)は聞いていても飽きない、橘(たちばな)の花が散る里の五月雨(さみだれ)が降るころに

 

 

水たまる 池のつつみのさし柳 この春雨にもえ出でにけり

【現代語訳】池の堤(つつみ)に挿木(さしき)した柳が、この春雨で芽ぐんできた

【補足】「水たまる」は「池」にかかる枕詞です。

 

 

物いはぬ 四方(よも)のけだものすらだにも あはれなるかなや親の子を思ふ

【現代語訳】物を言わないあちこちにいる獣でさえも、いとしいものだなあ、親が子を思うのは

【補足】四方は東西南北、前後左右方向を示していて、。「あちらこちら、いたる所」という意味でも使われます。

 

 

我が心 いかにせよとか山吹の うつろふ花に嵐たつらむ

【現代語訳】私の心をどうせよというのか、散りゆく山吹花に嵐が起きるのは

 

 

源実朝の略歴

  • 1192年(建久 3年) 8月9日、鎌倉にて生まれる。
  • 1203年(建仁 3年) 征夷大将軍宣下(12歳:数え年、以下同じ)
  • 1208年(承元 2年) 疱瘡(ほうそう)を患う(17歳)
  • 1213年(建保元年)頃 金槐和歌集をまとめる(22歳)
  • 1218年(建保 6年) 右大臣となる(27歳)
  • 1219年(建保 7年) 1月27日、鶴岡八幡宮で公暁に襲われて死去(28歳)

 

 


 関 連 ペ ー ジ 


次のページには実朝の歌も一首あり、他も和歌を代表する傑作ぞろいですので是非鑑賞してみて下さい。

⇒ 有名な和歌 15首

スポンサーリンク

サブコンテンツ

このページの先頭へ