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山月記の【あらすじ】3パターンと作者について

山と月

『山月記(さんげつき)』は中島敦(なかじま あつし)の短編小説ですが、これを収録している国語の教科書も多いため、かなり広く知られているといえるでしょう。

とても印象的な小説で、「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね……」の書き出しは格調高い文章で、今でも忘れずに覚えています。

今回は、この山月記のあらすじをまとめてみることにしました。とはいっても、どのくらいの字数にするかが迷うところです。そこで、「あらすじを〇〇〇字でまとめなさい」という問題を想定して3種類のパターンをつくりましたので、それぞれに目を通してみて下さい。

 

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山月記のあらすじ

文中の隴西(ろうせい)、汝水(じょすい)、商於(しょうお)は地名で、李徴(りちょう=主人公)、袁惨(えんさん)は人名です。

 

パターン1 [200字]

李徴は秀才で、詩人として名を残そうとしました。
しかし思いは叶わず、一度は辞めた官吏の道に戻りましたが、耐えられずに発狂して行方がわからなりました。

翌年、李徴の旧友の袁惨は、虎の姿となっていた李徴と再会しました。
李徴が創作した詩などを書きとめたりするうちに夜が明け始め、二人は涙の中で別れました。

袁惨が少し離れた丘の上から先ほどの草むらを見ると虎が姿を現わし、月を仰いで咆哮すると姿を消したのでした。

 

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パターン2 [400字]

隴西の李徴は秀才で、若くして科挙に合格し官吏となりました。
しかし、頑固で自信家の彼は職を辞し、詩人として名を後世に残そうとしました。

ところが思うようにならず、再び官吏となりましたが、かつての同輩の命令を受けることなど彼には耐えられないものでした。
そして公用で汝水に泊まったときに、発狂して行方がわからなりました。

翌年、李徴の旧友の袁惨は、商於で一匹の虎に出くわします。
その虎は、なんと李徴が姿を変えたものでした。
汝水に泊まった夜に山林を走っているうちに、気が付くと虎になっていたのです。

李徴が覚えている詩などを袁惨の下吏が書きとめ、彼の心境を聞いていると、やがて夜が明け始めました。
李徴は虎に戻る時が近づいたことを告げ、二人は涙の中で別れました。

袁惨たちが少し離れた丘の上に着き、先ほどの草むらを見ると一匹の虎が姿を現しました。
虎は月を仰いで咆哮すると姿を消し、二度と現れることはありませんでした。

 

夜の竹林

 

 

パターン3 [800字]

隴西の李徴は秀才で、若くして科挙に合格して官吏となりました。
しかし、頑固な性格で自分の才能に強い自信を持っていたので職を辞し、詩人として名を後世に残そうとしました。

ところが数年経っても思うようにならず、妻子のために再び官吏の職に就くことにました。しかし、かつての同輩の命令を受けるような立場は李徴の自尊心を傷つけ、彼には耐えられないものとなりました。
そして公用で汝水に泊まったときに、ついに発狂して宿を飛び出し、行方がわからなくなってしまいました。

翌年、李徴の旧友である監察御史の袁惨は、商於の地の林の中で一匹の虎に出くわします。
虎は袁惨を襲うと思いきや、身を翻すと草むらに隠れました。
その草むらから聞こえてくる人間の声に、袁惨は聞き覚えがありました。
その虎は、なんと李徴が姿を変えたもので、一日のうち数時間だけは人間の心が戻ってくるのでした。

草むらから姿を現さないまま、李徴は袁惨に語り始めました。
それによれば、汝水に泊まった夜、自分を呼ぶ声を追って山林を走っているうちに、気が付くと虎の姿になっていたということでした。

李徴は、かつて創作したが世に出ることがなかった詩のうちの約三十編を記録するよう袁惨に依頼しました。
それらと李徴がこの場で即興で作った詩を下吏が書きとめ、彼の心境を聞いているうちに、やがて夜が明け始めました。
李徴は虎に戻る時が近づいたことを告げ、妻子には自分が死んだと伝えるように袁惨に頼みます。
そして最後に、帰途には決してこの道を通らないこと、百歩先の丘の上からこの場所を振り返って見ることを袁惨に望みます。
李徴は友人を襲ってしまうことを恐れたからです。

李徴と袁惨は、共に惜しみつつも涙の中で別れました。
袁惨たちが丘の上に着き、言われた通りに振り返って先ほどの草むらを見ると、一匹の虎が姿を現しました。
そして、月を仰いで咆哮すると姿を消し、二度と現れることはありませんでした。

 

夜明け前の山と月

 

 

山月記の作者について

中島敦には、漢学塾を開いた祖父、その塾を受け継いだ伯父、漢文の教師であった父、漢学を修めた伯父、叔父などがいました。
このことは、敦の作品を形成する文体や世界観に大きな影響を及ぼしているといえるでしょう。

東京帝国大学国文学科を卒業し、高等学校の教師、教科書編纂掛としてのパラオ共和国への赴任などの後に、小説家として執筆活動に専念しました。
しかし、数カ月の後に、気管支喘息によって満33歳で亡くなりました。

『光と風と夢』は第15回芥川賞の候補にもなりましたが、受賞には至りませんでした。(第15回芥川賞は受賞者・受賞作なし)

漢文調の文体とくだけた口語体の絶妙な混在が、一度読むと忘れられない印象を残す作家です。中島敦の小説は、山月記に限らず、とても品がある良質なものです。是非読んでみるようにお勧めします。

 

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