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元号とは? 【一覧】で大化~平成・令和までをチェック

二荒山神社の神橋

日本の元号は、日本の歴史や文化と深い関わりがあります。

例えば、「大化の改新」「建武の新政」「明治維新」といった歴史的事実の名称に使われてきました。また、「桃山文化」「元禄文化」のように、その時代の文化を表現する場合にも欠かせません。

これらに慣れ親しんできた私たちは、元号名を聞いただけでイメージを想起することができます。

このページでは、元号について確認するとともに、大化から平成までの元号の一覧をみていくことにしましょう。

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元号とは?

まずは、元号と年号について確認しましょう。

 

元号と年号

元号(げんごう)は、特定の「年」に付けられる称号のことをいいます。具体的にいえば、「明治」「大正」「昭和」「平成」などが元号です。

元号は「年号(ねんごう)」といわれることもあり、『元号=年号』と考えても差し支えありません。

ただし、次のような使い方もされた場合には注意が必要です。

  • 平成28年の場合、「平成」を元号、「28年」を年号とする使い方
  • 西暦を年号、和暦(邦暦)を元号と呼ぶ使い方

 

なお、英語でいうと元号は finite era name 、regnal year 、年号は era name となります。

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元号のシステム

元号は紀年法(きねんほう=年を数えたり、記録する方法)の一種です。西暦などが無限のシステムであるのに対し、元号は有限のシステムであることが特徴です。

ですから、王や君主などの即位、在位中の改元(かいげん=変更)によって、元号の名称が改められて、年は「元年(がんねん= 1年)」から数え直されます。

そして、日本独特の紀年法が、「元号+年数」によって年を表わす和暦で、現代では西暦とともに広く使用されています。
日本の元号は、二文字であることが伝統のように思えますが、元号に用いる文字数について明確な決まりはありません。

この例外としては、奈良時代の天平感宝、天平勝宝、天平宝字、天平神護、神護景雲の 5つ(四文字)があるだけです。

 

元号が持つ意味は?

元号を定めるのは、王や君主などの時代の実力者です。そして、その時代に名称をつけるということは、「王、君主が空間とともに時間を支配する」という思想に基づいています。

天子(てんし=天下を治める者)の定めた元号と暦法を用いることを「正朔(せいさく)を奉(ほう)ずる」といいますが、これは権力者は服従する要件となっていました。

 

中国の元号

中国で元号が初めて使用されたのは、前漢の武帝の治世で紀元前115年頃のことです。このときの元号は「建元」で、統治の初めの年に遡ってのことでした。

明の時代に朱元璋(朱元璋=明の太祖)が一世一元の制(皇帝の即位によって改元する)を制定するなどし、元号は清の時代まで使用されていました。

手宮公園の桜

 

 

日本の元号の歴史

それでは、日本における元号使用の歴史を、時代に沿ってみていきましょう。

 

【飛鳥時代】

『日本書紀』によると、645年に「大化」が使用されたのが元号の始まりで、7世紀には元号が断続的に用いられました。この時代には元号よりも干支が主に使用されていたことがうかがえます。

701年に「大宝」と改元されてからは、元号の使用は継続的になりました。

 

【南北朝時代】

1331年から1392年までの期間は、一部共通する元号があるものの、南朝(大覚寺統:だいかくじとう)と北朝(持明院統:じみょういんとう)がそれぞれの元号を使用したため、二つの元号が並立していました。

 

【室町時代】

室町時代には、新元号は朝廷が定めるものの、将軍が「吉書始(きっしょはじめ)」という儀式で改元を宣言してから元号が使用されるようになりました。

そのために、元号の選定には幕府の影響力が強く及んでいたと考えられます。

 

【江戸時代】

江戸時代になると、幕府は禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)によって、元号の決定に介入するようになりました。

これには

「漢朝年号の内、吉例を以て相定むべし」
(中国の元号のうち、良い例を選んで定めること。)

とあります。

 

【明治時代】

明治以降は一世一元の制となり、新しい天皇が即位するときに改元されるようになりました。これ以前には、天変地異や疫病の流行などによる改元が行なわれていました。

また、明治5年(1872年)には改暦によるグレゴリオ暦(太陽暦)によって、それまでの元号、干支、皇紀に加えて、西暦も使用されるようになりました。

 

【昭和時代】

第二次世界大戦後の皇室典範の改正によって、元号の法的な根拠は消失しました。しかし、「昭和」の元号は広く使用され続けました。

1950年には、元号の廃止が参議院で議題として上がりましたが、この年に朝鮮戦争が勃発すると元号の廃止問題は棚上げされました。

その後、論争を経て1979年に元号法が制定された。これによって、一世一元の制が維持されるとともに、再び元号の法的根拠が生まれました。

以下に、元号法の条文を挙げておきます。これは、日本の法律のなかで条文がもっとも短いものです。

【元号法】

(昭和五十四年六月十二日法律第四十三号)

1  元号は、政令で定める。
2  元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。

   附 則
1  この法律は、公布の日から施行する。
2  昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。

 

金閣寺の石清水

 

元号の使用について

日本では、元号は元号法によって定義されていて、法的根拠があります。しかし、その使用については基本的に各々の自由です。ですから、私文書などで使用しなくても罰則などはありません。

元号法の制定の際の国会審議では「元号法は、その使用を国民に義務付けるものではない」という政府答弁がありました。

なお、西暦には元号法のような法律などは存在しません。

 

日本以外の国をみると、中華民国(台湾)では民国紀元(みんこくきげん)が現在も使用されています。これは中華民国が成立した1912年を元年とする紀年法で、中華民国暦、国暦といわれるものです。「民国」と略して表わし、元号として扱われることが多くみられます。

また、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では、金日成(キム・イルソン)の生年の1912年を元年とする主体暦(しゅたいれき=チュチェ暦)を採用し、西暦と併用して使用しています。この場合も、固有表記の元号としてとらえることができます。

 

 

元号の一覧

それでは、大化から平成までの元号をみていきましょう。時代区分を付していますが、諸説があるので明確に区分けでない時代があることをご了承下さい。

 

時代西暦元号読み方
飛鳥645~650大化たいか
650~654白雉はくち
654~686
686朱鳥しゅちょう
すちょう
686~701
701~704大宝たいほう
だいほう
704~708慶雲けいうん
きょううん
708~715和銅わどう
奈良715~717霊亀れいき
717~724養老ようろう
724~729神亀じんき
729~749天平てんぴょう
てんびょう
749 天平感宝てんぴょうかんぽう
749~757天平勝宝てんぴょうしょうほう
757~765天平宝字てんぴょうほうじ
765~767天平神護てんぴょうしんご
767~770神護景雲しんごけいうん
770~781宝亀ほうき
781~782天応てんおう
782~806延暦えんりゃく
平安806~810大同だいどう
810~824弘仁こうにん
824~834天長てんちょう
834~848承和じょうわ
しょうわ
848~851嘉祥 かしょう
かじょう
851~854仁寿にんじゅ
854~857斎衡さいこう
857~859天安てんあん
てんなん
859~877貞観じょうがん
877~885元慶がんぎょう
げんけい
885~889仁和にんな
じんな
889~898寛平かんぴょう
かんぺい
898~901昌泰しょうたい
901~923延喜 えんぎ
923~931延長えんちょう
931~938承平じょうへい
しょうへい
938~947天慶てんぎょう
てんきょう
947~957天暦てんりゃく
てんれき
957~961天徳てんとく
961~964応和おうわ
964~968康保こうほう
968~970安和あんな
あんわ
970~973天禄てんろく
973~976天延てんえん
976~978貞元じょうげん
ていげん
978~983天元てんげん
983~985永観 えいかん
985~987寛和 かんな
かんわ
987~989永延えいえん
ようえん
989~990永祚えいそ
990~995正暦 しょうりゃく
じょうりゃく
995~999長徳ちょうとく
999~1004長保ちょうほう
1004~1012寛弘かんこう
1012~1017長和ちょうわ
1017~1021寛仁かんにん
1021~1024治安じあん
ちあん
1024~1028万寿まんじゅ
1028~1037長元ちょうげん
1037~1040長暦ちょうりゃく
ちょうれき
1040~1044長久ちょうきゅう
1044~1046寛徳かんとく
1046~1053永承 えいしょう
えいじょう
1053~1058天喜てんぎ
てんき
1058~1065康平 こうへい
1065~1069治暦じりゃく
ちりゃく
1069~1074延久えんきゅう
1074~1077承保じょうほう
しょうほう
1077~1081承暦じょうりゃく
しょうりゃく
1081~1084永保えいほう
1084~1087応徳 おうとく
1087~1094寛治 かんじ
1094~1096嘉保かほう
1096~1097永長えいちょう
ようちょう
1097~1099承徳じょうとく
しょうとく
1099~1104康和こうわ
1104~1106長治ちょうじ
1106~1108嘉承 かじょう
かしょう
1108~1110天仁てんにん
1110~1113天永 てんえい
1113~1118永久えいきゅう
1118~1120元永げんえい
1120~1124保安ほうあん
1124~1126天治てんじ
1126~1131大治だいじ
たいじ
1131~1132天承てんしょう
てんじょう
1132~1135長承ちょうしょう
ちょうじょう
1135~1141保延 ほうえん
1141~1142永治えいじ
1142~1144康治こうじ
1144~1145天養てんよう
1145~1151久安きゅうあん
1151~1154仁平にんぺい
にんびょう
1154~1156久寿きゅうじゅ
1156~1159保元ほうげん
1159~1160平治へいじ
びょうじ
1160~1161永暦えいりゃく
ようりゃく
1161~1163応保 おうほう
1163~1165長寛ちょうかん
1165~1166永万えいまん
ようまん
1166~1169仁安にんあん
にんなん
1169~1171嘉応かおう
1171~1175承安じょうあん
しょうあん
1175~1177安元あんげん
1177~1181治承じしょう
じじょう
1181~1182養和 ようわ
1182~1184寿永じゅえい
1184~1185元暦げんりゃく
1185~1190文治ぶんじ
もんじ
鎌倉1190~1199建久けんきゅう
1199~1201正治 しょうじ
1201~1204建仁けんにん
1204~1206元久 げんきゅう
1206~1207建永けんえい
1207~1211承元じょうげん
しょうげん
1211~1213建暦けんりゃく
1213~1219建保けんぽう
けんほう
1219~1222承久じょうきゅう
しょうきゅう
1222~1224貞応じょうおう
ていおう
1224~1225元仁げんにん
1225~1227嘉禄かろく
1227~1229安貞あんてい
1229~1232寛喜 かんき
1232~1233貞永じょうえい
ていえい
1233~1234天福てんぷく
てんふく
1234~1235文暦ぶんりゃく
もんりゃく
1235~1238嘉禎かてい
1238~1239暦仁りゃくにん
れきにん
1239~1240延応えんおう
えんのう
1240~1243仁治にんじ
にんち
1243~1247寛元かんげん
1247~1249宝治ほうじ
1249~1256建長けんちょう
1256~1257康元こうげん
1257~1259正嘉しょうか
1259~1260正元しょうげん
1260~1261文応ぶんおう
1261~1264弘長こうちょう
1264~1275文永ぶんえい
1275~1278建治けんじ
1278~1288弘安こうあん
1288~1293正応しょうおう
1293~1299永仁えいにん
1299~1302正安しょうあん
1302~1303乾元 けんげん
1303~1306嘉元かげん
1306~1308徳治とくじ
1308~1311延慶えんきょう
えんぎょう
1311~1312応長おうちょう
1312~1317正和しょうわ
1317~1319文保ぶんぽう
ぶんほう
1319~1321元応げんおう
げんのう
1321~1324元亨げんこう
1324~1326正中しょうちゅう
1326~1329嘉暦かりゃく

 

【南朝(大覚寺統:だいかくじとう)の元号】

1329~1331元徳げんとく
1331~1334元弘げんこう
1334~1336建武けんむ
けんぶ
1336~1340延元えんげん
1340~1346興国こうこく
1346~1370正平しょうへい
1370~1372建徳けんとく
1372~1375文中ぶんちゅう
1375~1381天授てんじゅ
1381~1384弘和こうわ
1384~1392元中げんちゅう

 

【北朝(持明院統:じみょういんとう)の元号】

1329~1332元徳げんとく
1332~1334正慶しょうきょう
しょうけい
1334~1338建武けんむ
けんぶ
1338~1342暦応りゃくおう
れきおう
1342~1345康永こうえい
1345~1350貞和じょうわ
ていわ
1350~1352観応かんおう
かんのう
1352~1356文和ぶんな
ぶんわ
1356~1361延文えんぶん
1361~1362康安こうあん
1362~1368貞治じょうじ
ていじ
1368~1375応安おうあん
1375~1379永和えいわ
1379~1381康暦こうりゃく
1381~1384永徳えいとく
1384~1387至徳しとく
1387~1389嘉慶かきょう
かけい
1389~1390康応こうおう
 1390~明徳めいとく

 

【南北朝統一後の元号】

 室町1392~1394明徳めいとく
1394~1428応永おうえい
1428~1429正長 しょうちょう
1429~1441永享えいきょう
1441~1444嘉吉かきつ
かきち
1444~1449文安ぶんあん
1449~1452宝徳ほうとく
1452~1455享徳きょうとく
1455~1457康正こうしょう
1457~1460長禄ちょうろく
1460~1466寛正かんしょう
1466~1467文正ぶんしょう
もんしょう
1467~1469応仁おうにん
1469~1487文明ぶんめい
1487~1489長享ちょうきょう
1489~1492延徳えんとく
1492~1501明応めいおう
1501~1504文亀ぶんき
1504~1521永正えいしょう
1521~1528大永だいえい
1528~1532享禄きょうろく
1532~1555天文てんぶん
1555~1558弘治こうじ
1558~1570永禄えいろく
1570~1573元亀げんき
安土
桃山
1573~1592天正てんしょう
1592~1596文禄ぶんろく
1596~1615慶長 けいちょう
きょうちょう
 江戸1615~1624元和げんな
げんわ
 〃1624~1644寛永かんえい
 〃1644~1648正保しょうほう
1648~1652慶安けいあん
1652~1655承応じょうおう
しょうおう
1655~1658明暦めいれき
みょうりゃく
1658~1661万治まんじ
1661~1673寛文かんぶん
1673~1681延宝えんぽう
1681~1684天和てんな
1684~1688貞享じょうきょう
1688~1704元禄げんろく
1704~1711宝永ほうえい
1711~1716正徳しょうとく
1716~1736享保きょうほう
きょうほ
1736~1741元文げんぶん
1741~1744寛保かんぽう
かんほう
1744~1748延享えんきょう
1748~1751寛延かんえん
1751~1764宝暦ほうれき
ほうりゃく
1764~1772明和めいわ
1772~1781安永 あんえい
1781~1789天明てんめい
1789~1801寛政かんせい
1801~1804享和きょうわ
1804~1818文化ぶんか
1818~1830文政ぶんせい
1830~1844天保てんぽう
てんほう
1844~1848弘化こうか
1848~1854嘉永かえい
1854~1860安政あんせい
1860~1861万延まんえん
1861~1864文久ぶんきゅう
1864~1865元治げんじ
 〃1865~1868慶応けいおう
明治1868~1912明治めいじ
大正1912~1926大正たいしょう
昭和1926~1989昭和しょうわ
平成1989~2019平成へいせい
令和2019~令和れいわ

 

白鳥庭園の紅葉

 

元号の由来

近代の元号の由来について、みていきましょう。

 

【明治】

『易経』の「聖人南面而聴天下、嚮

聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)いて治む

 

【大正】

『易経』彖伝・臨卦の「亨以、天之道也」

大いに亨(とほ)りて以て正しきは、天の道なり

 

【昭和】

『書経』尭典の「百姓明、協萬邦」

百姓(ひゃくせい)昭明(しょうめい)にして、萬邦(ばんぽう)を協和(きょうわ)す

 

【平成】

『史記』五帝本紀の「内」、『書経』大禹謨の「地

内平かに外成る、地平かに天成る

 

【令和】

万葉集「梅の花」三十二種の「初春月、氣淑風

初春の令月(れいげつ)、気淑(よ)く風和(やわら)ぐ

 

雪の白鳥庭園

 

 

【関連項目】

⇒ 時代の順番のおさらい

⇒ 歴史上の人物の名前 30

⇒ 天皇誕生日が変わると?

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