源氏物語(げんじものがたり)の作者はどんな人?
『源氏物語』を書いたとされる紫式部には、『枕草子』の清少納言のように「平安時代の才女」というイメージがあります。
二千円紙幣の裏面に肖像が印刷されたほどですから、その知名度はかなり高いものです。しかし、どのような女性であったのかとなると、解明するのもなかなか難しいようです。
このページでは、源氏物語の作者である紫式部について考えていくことにしましょう。
目次
源氏物語とは?
源氏物語は、平安時代の中期に成立した長編の物語で、日本文学史上最高の傑作とも評されます。
写本が多く存在しますが、一般的には 54帖からなるとされています。登場人物は 500人ほどもいて、和歌が 800首近くも含まれている、壮大な王朝物語です。
この和歌の中から 20首を選んで現代語訳を付けたものが次のページです。
また、現代では『源氏物語』が一般的な作品名となっていますが、かつては次のような様々な名称で呼ばれてきました。
- 源氏の物語
- 光源氏の物語
- 光源氏
- 源氏
- 源氏の君
- 紫の物語
- 紫のゆかり
- 紫のゆかりの物語
源氏物語は後の文化にも大きな影響を与え、物語をもとにした「源氏絵」、調度品、着物や帯の図柄などが数多く存在します。
また、日本文学の代表的なものとして多くの言語に翻訳されていますし、世界的にも高い評価をうけています。
源氏物語の内容
源氏物語を一言で言い表わすと、長篇恋愛小説ということができるでしょう。
先に述べたように 54帖からなるとするのが定説で、現在では次のように 3部構成ととらえるのが一般的です。
部 | 概 要 |
第1部 | 光源氏が数々の恋愛を経ながら 王朝内で栄華をきわめる |
第2部 | 源氏は世の無常を悟って 出家を志し、やがて死にいたる |
第3部 | 源氏の子孫たちが 源氏と同様の人生を送る |
なお、各帖の名前と詠み方を参考に挙げておきます。
帖 | 名前 | 読み方 | 部 |
1 | 桐壺 | きりつぼ | 第1部 |
2 | 帚木 | ははきぎ | |
3 | 空蝉 | うつせみ | |
4 | 夕顔 | ゆうがお | |
5 | 若紫 | わかむらさき | |
6 | 末摘花 | すえつむはな | |
7 | 紅葉賀 | もみじのが | |
8 | 花宴 | はなのえん | |
9 | 葵 | あおい | |
10 | 賢木 | さかき | |
11 | 花散里 | はなちるさと | |
12 | 須磨 | すま | |
13 | 明石 | あかし | |
14 | 澪標 | みおつくし | |
15 | 蓬生 | よもぎう | |
16 | 関屋 | せきや | |
17 | 絵合 | えあわせ | |
18 | 松風 | まつかぜ | |
19 | 薄雲 | うすぐも | |
20 | 朝顔 | あさがお | |
21 | 少女 | おとめ | |
22 | 玉鬘 | たまかずら | |
23 | 初音 | はつね | |
24 | 胡蝶 | こちょう | |
25 | 蛍 | ほたる | |
26 | 常夏 | とこなつ | |
27 | 篝火 | かがりび | |
28 | 野分 | のわき | |
29 | 行幸 | みゆき | |
30 | 藤袴 | ふじばかま | |
31 | 真木柱 | まきばしら | |
32 | 梅枝 | うめがえ | |
33 | 藤裏葉 | ふじのうらば | |
34 | 若菜 | わかな | 第2部 |
35 | 柏木 | かしわぎ | |
36 | 横笛 | よこぶえ | |
37 | 鈴虫 | すずむし | |
38 | 夕霧 | ゆうぎり | |
39 | 御法 | みのり | |
40 | 幻 | まぼろし | |
41 | 雲隠 | くもがくれ | |
42 | 匂宮 | におうみや | 第3部 |
43 | 紅梅 | こうばい | |
44 | 竹河 | たけかわ | |
45 | 橋姫 | はしひめ | |
46 | 椎本 | しいがもと | |
47 | 総角 | あげまき | |
48 | 早蕨 | さわらび | |
49 | 宿木 | やどりぎ | |
50 | 東屋 | あずまや | |
51 | 浮舟 | うきふね | |
52 | 蜻蛉 | かげろう | |
53 | 手習 | てならい | |
54 | 夢浮橋 | ゆめのうきはし |
源氏物語の作者はどんな人?
それでは、作者像を探っていくことにしましょう。
作者は誰?
源氏物語の作者は紫式部(むらさきしきぶ)である、というのが現在では通説となっています。
その根拠としては、『紫式部日記(むらさきしきぶにっき)』にある、以下の 3つの記述です。
左衛門督 あなかしここのわたりに若紫やさぶらふ とうかがひたまふ 源氏にかかるへき人も見えたまはぬにかの上はまいていかでものしたまはむと聞きゐたり
(現代語訳)
左衛門督(さえもんのかみ=藤原公任:ふじわらのきんとう)が、「失礼、このあたりに若紫さんはいらっしゃいますか」とお尋ねになりましたが、光源氏に似ているような人も見当たらないのに、ましてやあの紫の上がいらっしゃるだろうかと聞いておりました。
内裏の上の源氏の物語人に読ませたまひつつ聞こしめしけるに この人は日本紀をこそよみたまへけれまことに才あるべし とのたまはせけるをふと推しはかりに いみじうなむさえかあると殿上人などに言ひ散らして日本紀の御局ぞつけたりけるいとをかしくぞはべる
(現代語訳)
内裏の上(一条天皇)が源氏物語を人に読ませてお聞きになっているときに、「この人(作者)は日本紀をよく読んでいるようだ。本当に学識があるのだろう。」とおっしゃったのを聞いて(内侍が)あて推量し、「たいそう学識を鼻にかけている」と殿上人(てんじょうびと)などに言い触らして、「日本紀の御局」とあだ名を付けたりしたのは、とても滑稽なことです。
源氏の物語御前にあるを殿の御覧じて 例のすずろ言ども出で来たるついでに梅の下に敷かれたる紙に書かせたまへる すきものと名にしたてれば見る人の折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ たまはせたれば 人にまだ折られぬものをたれかこのすきものぞとは口ならしけむ めざましうと聞こゆ
(現代語訳)
源氏物語が(中宮様の)御前にあるのを殿(藤原道長)がご覧になって、いつものように冗談を言いだされたときに、梅の下に敷かれた紙にお書きになりました。『(梅の実は)酸っぱいものとして有名だから 見る人は(その枝を)折らずにはいられないと思われる』と書かれてお渡し下さったので、『人にまだ折られていないものを 誰が酸っぱいものと言ったのでしょう どうも気に入りません』と申し上げました。
また、尊卑分脈(そんぴぶんみゃく=日本の初期の系図集)の註記には、次の記述があります。
上東門院女房 歌人 紫式部是也 源氏物語作者 或本雅正女云々 為時妹也云々 御堂関白道長妾
以上から、紫式部が源氏物語を書いたとされるわけですが、多くの議論がなされてきています。
また、源氏物語の作者が紫式部であるとしても、物語の一部は別人の手によるものではないか、ということは古くから言われてきました。
与謝野晶子(よさの あきこ)は、次のように源氏物語を 2部構成ととらえていました。
帖 | 名 前 | 部 |
1~33 | 桐壺~藤裏葉 | 第1部 (前半) |
34~54 | 若菜~夢浮橋 | 第2部 (後半) |
そして、「若菜」以降の第2部を書いたのは、紫式部の娘の大弐三位(だいにのさんみ)であろうと考えていました。
作者の経歴
紫式部の女房名(にょうぼうな=貴人につかえるために使った通称)は「藤式部」でした。
「紫」は、源氏物語の登場人物の「紫の上」に由来するといわれています。また「式部」は、父親の官位に由来するという説と、兄弟の官位に由来するという説があります。
生年と没年が特定されていませんが、経歴をまとめると次のようになります。
- 970~978年 越後守・藤原為時(ふじわらのためとき)と摂津守・藤原為信女
- 998年頃 山城守・藤原宣孝(ふじわらののぶたか)と結婚
- 999年 大弐三位(=藤原賢子:ふじわらのけんし)をもうける
- 1001年 宣孝と死別する
- 1005年~1012年頃 一条天皇の中宮・彰子(しょうし=藤原道長の長女、後の上東門院:じょうとうもんいん)に女房として仕える
- 1014~1031年 没する
紫式部は菩薩の化身であるという言い伝えもありました。
百人一首の和歌
紫式部は、中古三十六歌仙と女房三十六歌仙の一人に数えらています。これは、『枕草子』の作者といわれる清少納言と同じです。
源氏物語の中にも多くの歌が残されていて、家集の『紫式部集』が伝わっています。
そして、百人一首には次の歌が採られています。
めぐりあひて
見しやそれとも わかぬまに
雲がくれにし 夜半の月かな
紫式部と清少納言
かつては、紫式部と清少納言はライバル関係にあったとされてきました。
しかし現在では、紫式部に関する記述を清少納言が残していないことなどからも、二人は面識がなかったとする見方が有力になっています。
たしかに、『紫式部日記』には清少納言をけなしているかのような記述があります。
清少納言こそ したり顔にいみじうはべりける人
(現代語訳)
清少納言は、とても得意顔でいた人です。
さばかりさかしだち 真名書き散らしてはべるほども よく見ればまだいと足らぬこと多かり
(現代語訳)
あんなに賢こぶって、漢字を書き散らしているものの、よく見るとまだまだ足りないことが多いのです。
そのあだになりぬる人の果て いかでかはよくはべらむ
(現代語訳)
誠実さがなくなってしまった人の行く末には、どうして良いことがあるでしょうか。
まとめ
源氏物語は、平安時代の文化にも触れることができる優れた物語です。しかし、現代の私たちが少し読みにくい印象を持ってしまう面もあります。
そこで、まずは現代語訳で通読するという人も多いようです。源氏物語は多くの作家が現代語訳をしているので、選択肢も迷うほどあります。
その中で、私が良いと感じているものを挙げておきますので、参考にしてみて下さい。
谷崎潤一郎訳(谷崎源氏)
原文の雰囲気を損なわないようにという配慮が感じられます。古風な印象を受けますが、そこが魅力となっています。
与謝野晶子訳(与謝野源氏)
12歳から原文で源氏物語を読んできた与謝野晶子が、彼女なりの解釈を加えています。谷崎源氏と比べると、かなりの意訳といえるでしょう。
しかし、和歌については原文のまま収録しています。
田辺聖子訳(田辺源氏)
源氏物語の帖の順に従っていなかったり、和歌を会話文に置き換えるなど、かなり大胆に変更されています。
まさに「田辺源氏」といった作品です。