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『舞姫(まいひめ)』は作者・森鷗外の実話なのですか?

ドイツの公園

森鷗外(もり おうがい)の『舞姫(まいひめ)』は、高校の国語の教科書に載っていて、授業でも取り上げられました。

舞姫に対する当時の感想は、主人公を「優柔不断」「自分勝手」「残酷」等と非難するものが圧倒的多数であり、私も同様に感じていました。後に、明治という作品の時代背景を考えて読み直してみると、主人公の苦悩も理解できるようになりましたが、それでも「やむを得ない」とまでは思えませんでした。

しかし最近になって、この小説の受け取り方も変わってきました。このページには、そのあたりをまとめておくことにしました。

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舞姫のあらすじ

まずは、舞姫のあらすじを簡単にまとめてみましょう。

 

《あらすじ》

主人公の太田豊太郎は、功名心を持って官吏としてドイツに赴きました。また、政府の許しも得て、政治を学ぶために現地の大学に通う生活をしていました。

ある日帰宅の途中で、教会の前で泣いている清らかで美しい少女エリスと出会います。彼女から助けを求められた豊太郎は、エリスの父親の葬儀代を都合してやります。そして、これを契機に二人の交際が始まりました。

エリスは劇場で働く踊り子でしたが、彼女との交際は、豊太郎の同郷の人に知られることになりました。そして、それが豊太郎の上官に報告されたため、彼は免職されてしまいます。

しかし、エリスへの愛情は強いものとなり、友人の相沢が新聞社での仕事を与えてくれたこともあって、豊太郎はエリスと一緒に暮らすようになりました。また、相沢の口添えで大臣の仕事ももらえるようになりました。そして、大臣のロシア訪問に同行した豊太郎は、さらに信頼を得ることができました。

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ロシアから戻った豊太郎を迎えたのは、彼の子を宿したエリスと、高く積まれた子供用の衣類でした。

後日、大臣から「私と日本へ帰る気はないか?」と聞かれた豊太郎は、とっさに「承知しました」と答えてしまいます。帰ってからエリスに言う言葉が見つからないまま真冬の街をさまよい歩き、ようやく家にたどりつくと豊太郎は意識を失って倒れてしまいます。

豊太郎が意識を回復したのは、それから数週間後のことでした。その間に、エリスは相沢から、豊太郎が日本へ帰ることを聞いていました。その結果、エリスは精神に異常をきたして生きる屍のようになってしまいました。

治癒の望みがないエリスと生まれてくる子のことを想いながらも、豊太郎は帰国したのでした。

ドイツの街並み

 

 

森鷗外の年譜

鷗外のドイツ留学時代と、舞姫と関連した略歴を抜き出してみましょう。

  • 1884年 ドイツへ留学
  • 1888年 9月8日にドイツより帰国、9月12日から Elise Wiegert が日本に約一カ月滞在
  • 1889年 赤松登志子と結婚
  • 1890年 『舞姫』を発表、登志子と離婚
  • 1902年 荒木志げと再婚
  • 1903年 長女・茉莉(まり)が生まれる
  • 1909年 次女・杏奴(あんぬ)が生まれる

 

 

舞姫のエリスのモデル

舞姫が発表されたときから、エリスのモデルについては諸説がありました、そして、現在では Elise Marie Caroline Wiegert (エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト=1866年9月15日~1953年8月4日)がモデルとほぼ確定しています。

前記の年譜にもあるように、鷗外は娘に「茉莉(Elise のミドルネームがマリー)」と「杏奴(Elise の妹がアンナ)」という名前を付けています。これらは、当時としては異色の名前です。

また、鷗外が帰国した1888年の9月12日~10月17日に、Elise Wiegert が日本に滞在しています。

これらからも、実在の Elise は鷗外にとって大切な人であったことは間違いありません。そして、 Elise がドイツに戻ってからも、二人は文通していたことが知られています。

ドイツの教会の聖母子像

 

 

舞姫は作者・鷗外の実話?

『舞姫』は小説であって、実話ではありません。しかし、舞姫を読んでいると、主人公は若き日の鷗外であるかのような錯覚を起こしてしまいます。

また、前記した鷗外の年譜やエリスのモデルが実在することを知ると、なおのこと物語が真実味を帯びてきます。その結果、鷗外は身勝手で残酷な人間なように思い込んだり、エリスが鷗外を追って日本へやって来たように思えたりしてしまいます。

しかし、あくまでも『舞姫』は創作物です。たとえ、日本にやって来た実在の Elise が鷗外の子を身ごもっていたとしても、彼女はエリスではないのです。そして、豊太郎はけっして鷗外ではありません。むしろ、鷗外と交遊があった武島務という人物のほうが、舞姫の主人公に近いといえるでしょう。

鷗外に限らず、私小説と呼ばれるものを読んでいると、どこまでが作者の実体験なのかと考えることがよくあります。それを作者が解説していなければ、読者が解読することはできませんし、それが小説というものです。

鷗外の作品には、歴史物といわれて高評価を受けているものがある一方で、自伝的な小説『ヰタ・セクスアリス』では発売禁止処分を受けています。ですから、鷗外には旧態の枠組みを壊そうというような創作姿勢も感じられるのです。

『舞姫』においても、日本人と外国人女性との恋愛が描かれているわけですが、当時では考えられない題材であったでしょう。これを帰国後に、間をあけずに発表しているところに鷗外の野心的なものを感じずにはいられません。

もっとも鷗外にしてみれば、『舞姫』は単に留学時代の思い出を素材にしただけなのかもしれないのですが…

 

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