枕草子(まくらのそうし)の作者はどんな人?
枕草子を書いた清少納言には、平安時代の才女というイメージがあります。それを鼻にかけているように感じて嫌う人もいるようですが、はたして実際はどのような人だったのでしょうか。個人的には、かなり自然体の人だったのではないかと考えているのですが…
このページでは、枕草子の作者である清少納言について考えていくことにしましょう。
目次
枕草子とは?
枕草子(まくらのそうし)は、平安時代の中期に清少納言(せいしょうなごん)によって書かれたとされる文学作品です。
「枕草紙」「枕双紙」「枕冊子」とも表記され、かつては「まくらそうし」「清少納言記」「清少納言抄」などとも呼ばれました。
鴨長明(かものちょうめい)の『方丈記(ほうじょうき)』、吉田兼好(よしだ けんこう)の『徒然草(つれづれぐさ)』とあわせて、日本三大随筆と呼ばれています。
特徴としては、平仮名を中心とした和文で書かれていること、簡潔な文章で書かれた短編の多いことが挙げられます。
なお、清少納言は漢学にも通じていました。
枕草子の内容
枕草子の内容は、一般的には次の三種類に分類されます。なお、章段(しょうだん)とは、文章の段落、長い文章の中の一段落をいいます。
- 「ものづくし」の類聚(るいじゅ、るいじゅう=同種類のものを集めること)章段
- 自然などを観察した随想章段
- 宮廷社会を思い起こした回想章段(日記章段)
実際に、いくつかを読んでみましょう。初段の「春はあけぼの~」については、こちらをご覧になって下さい。
うつくしきもの(抜粋)
うつくしきもの。
瓜にかきたる稚児の顔。
すずめの子の、
ねず鳴きするに踊り来る。
二つ三つばかりなる稚児の、
急ぎて這いくる道に、
いと小さき塵のありけるを
目ざとに見つけて、
いとをかしげなる指にとらへて、
大人などに見せたる、
いとうつくし。
【現代語訳】
かわいらしいもの。
瓜に描いた幼い子供の顔。
雀の子が、
人がねずみの鳴きまねをすると
踊るようにやって来ること。
二つか三つくらいの幼い子供が、
急いで這って来る途中で、
とても小さな塵(ちり)があるのを
目ざとく見つけて、
とてもかわいらしい指でつまんで、
大人などに見せるのは、
とてもかわいらしい。
月のいと明きに
月のいと明きに、川を渡れば、
牛の歩むままに、
水晶などの割れたるやうに、
水の散りたるこそをかしけれ。
【現代語訳】
月がとても明るいときに、
川を渡っていると、
牛が歩くとともに、
水晶などが割れたように、
水が飛び散ったのは、
それは美しいものでした。
宮に初めて参りたるころ(抜粋)
宮に初めて参りたるころ、
ものの恥づかしきことの数知らず、
涙も落ちぬべければ、
夜々参りて、
三尺の御几帳の後ろにさぶらふに、
絵など取り出でて
見せさせたまふを、
手にてもえ差し出づまじうわりなし。
【現代語訳】
中宮様のもとに初めて参上したころは、
とても恥ずかしいことが
数知れぬほどあり、
涙が落ちてしまいそうに
なってしまうので、
夜になってから参上していて、
三尺の御几帳* の後ろに控えていると、
(中宮様が)絵などを取り出して
見せて下さいましたが、
手を差し出すこともできず
どうしようもないほど
恥ずかしかったのです。
* 几帳(きちょう)は室内を仕切る調度品です。
枕草子の作者は?
それでは、清少納言の経歴やエピソードなどから、彼女の人となりを探っていきましょう。
作者の経歴
実名が特定できないなど不明な部分がありますが、経歴を簡単にみていきましょう。
- 966年頃 歌人・清原元輔(きよはらのもとすけ)の娘として生まれる。
- 974年 父の周防国(すおうのくに)への赴任に同行。
- 981年頃 陸奥守・橘則光(たちばなののりみつ)と結婚、一子を生むも後に離婚する。
- - 摂津守・藤原棟世(ふじわらのむねよ)と再婚し、小馬命婦(こまのみょうぶ=女流歌人)をもうける。
- 993年頃 中宮定子(ちゅうぐうていし)に女房として仕える。
- 1000年 中宮定子が亡くなり、やがて宮仕えをやめる。
- 1025年頃 没する。
なお、「清少納言」は女房名(にょうぼうな=通称)であり、「少納言」は官職名です。
百人一首の和歌
清少納言は、中古三十六歌仙と女房三十六歌仙の一人に数えられています。『後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)』などの勅撰和歌集に15首が入集しており、家集『清少納言集』を残しています。
百人一首には、次の歌が採られています。
夜をこめて
鳥のそら音ははかるとも
よに逢坂の関はゆるさじ
清少納言と紫式部
清少納言は、『源氏物語』を書いたとされる紫式部(むらさきしきぶ)とライバル関係にあったとされてきました。
たしかに、『紫式部日記』には清少納言をけなすような記述があります。
しかし現在では、清少納言が紫式部に関する記述を残していないことなどもあり、二人は面識がなかったとする見方が有力です。
駿馬(しゅんめ)の骨
『古事談(こじだん=鎌倉時代の説話集)』には、次のような清少納言のエピソードがあります。
清少納言の晩年に、彼女の家の前を通りかかった若い貴族が「少納言無下にこそなりにけれ」と言うと、鬼のような形相をして「駿馬の骨をば買はざるや」と言い返しました。
つまり、「清少納言も落ちぶれたものだなあ」と言われて、「駿馬の骨を買わないの?=名馬の骨には買い手がつくものよ」と返したのです。
これは実話かどうかわかりませんが、清少納言の頭の良さと性格が伺えるものといえるでしょう。
まとめ
清少納言は、約千年ほど前の平安時代を生きた人です。しかし、ものの感じ方は現代の我々と変わるところはありません。
枕草子 ⇒ 古文 ⇒ 難しい と考えないで、女流作家の読みやすい随筆=エッセイとして読むのが良いでしょう。