短歌で有名なのは? ベスト20首を厳選! 【保存版】
初めて短歌に触れる機会というのは、学校の国語の授業でというケースが多いかもしれません。
そもそも学校で習うものに対しては、どうしても構えてしまいがちです。素直に「鑑賞してみよう」という気持ちには、中々なれないものです。
ですから、学校の授業などとは関係なしに、何気なく目にした短歌に惹きつけられ、その作者の歌集をむさぼるように読むということもあるのではないでしょうか。
このページでは、短歌のうちでも特に有名なものを集めてみました。いずれも心に強く訴えてくるような秀作ばかりですので、是非とも鑑賞してみて下さい。
目次
- 1 短歌で有名なのは? 【ベスト20首】
- 1.1 幾山河 越えさり行かば寂しさの 終てなむ国ぞ今日も旅ゆく
- 1.2 いざ行かむ 行きてまだ見ぬ山を見む このさびしさに君は耐ふるや
- 1.3 いちはつの 花咲きいでて我が目には 今年ばかりの春行かんとす
- 1.4 いのちなき 砂のかなしさよさらさらと 握れば指のあひだより落つ
- 1.5 瓶にさす 藤の花ぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけり
- 1.6 清水へ 祇園をよぎる桜月夜 今宵逢ふ人みなうつくしき
- 1.7 くれなゐの 二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに春雨のふる
- 1.8 死に近き 母に添い寝のしんしんと 遠田のかはづ天に聞こゆる
- 1.9 白鳥(しらとり)は かなしからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ
- 1.10 その子二十 櫛にながるる黒髪の おごりの春のうつくしきかな
- 1.11 たはむれに 母を背負ひてそのあまり 軽(かろ)きに泣きて三歩あゆまず
- 1.12 東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる
- 1.13 何ごとも 夢のごとくに過ぎにけり 万燈の上の桃色の月
- 1.14 のど赤き 玄鳥ふたつ屋梁(はり)にゐて 垂乳根の母は死にたまふなり
- 1.15 はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし) 楽にならざりぢっと手を見る
- 1.16 春の鳥、な鳴きそ鳴きそ、あかあかと 外の面(とのも)の草に、日の入る夕べ
- 1.17 ふるさとの 山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
- 1.18 頬につたふ なみだのごはず一握の 砂を示しし人を忘れず
- 1.19 最上川の 上空にして残れるは いまだうつくしき虹の断片
- 1.20 やは肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君
- 2 有名な短歌の作者たち
短歌で有名なのは? 【ベスト20首】
短歌の中でも、広く一般に知られているもの、特に有名と考えられるものを 20首選びました。歌の先頭の文字の五十音順に並べてあります。
またこのページの最後に、これらの短歌の作者たちの他の作品への案内もありますので、そちらも是非チェックしてみて下さい。
幾山河 越えさり行かば寂しさの 終てなむ国ぞ今日も旅ゆく
【作者】若山牧水
【収録歌集】海の声
【補足】
「終(は)てなむ」は「果てるであろう」の意味です。
【私感】
「幾山河」を「いくさんが」と読んでみると、歌全体が力強く感じられます。
いざ行かむ 行きてまだ見ぬ山を見む このさびしさに君は耐ふるや
【作者】若山牧水
【収録歌集】独り歌へる
【私感】
前の「幾山河…」の歌と対をなしているように感じられる歌です。
いちはつの 花咲きいでて我が目には 今年ばかりの春行かんとす
【作者】正岡子規
【補足】
イチハツはアヤメ科の多年草で、アヤメ類の中で一番最初に花が咲くことから「一初」と名付けられたものです。
いのちなき 砂のかなしさよさらさらと 握れば指のあひだより落つ
【作者】石川啄木
【収録歌集】一握の砂(我を愛する歌)
【補足】
啄木が影響を受けたといわれる歌人・土岐哀果(とき あいか)に次の歌があります。
わが命 砂の時計のさらさらの 音のまにまに神に帰るか
(原文はローマ字表記)
瓶にさす 藤の花ぶさみじかければ たたみの上にとどかざりけり
【作者】正岡子規
【歌集】竹の里歌
【補足】
「瓶」の読みは「かめ」です。
子規の随筆『墨汁一滴(ぼくじゅういってき)』によれば、この歌が詠まれたのは明治34年4月28日であり、翌29日の文章には「枕辺を見れば瓶中(へいちゅう)の藤 紫にして一尺(=約 30cm)垂れたり」とあります。
清水へ 祇園をよぎる桜月夜 今宵逢ふ人みなうつくしき
【作者】与謝野晶子
【収録歌集】みだれ髪
【私感】
祇園、桜、月とそろった美しい夜の情景が思い浮かぶとともに、少し浮き立つような気持ちが感じられる歌です。
くれなゐの 二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに春雨のふる
【作者】正岡子規
【歌集】竹の里歌
【補足】
二尺(にしゃく)は約 60cmです。
薔薇(ばら)の芽の針(はり=とげ)が「やはらか」であり、また春雨(はるさめ)の降り方も「やはらか」と受け取れます。この歌のポイントとなっています。
死に近き 母に添い寝のしんしんと 遠田のかはづ天に聞こゆる
【作者】斎藤茂吉
【収録歌集】赤光
【補足】
「遠田(とおだ)」は「遠くの田」の意で、「かはづ」は「カエル(蛙)」のことです。
白鳥(しらとり)は かなしからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ
【作者】若山牧水
【収録歌集】海の声
【補足】
初めて発表されたのは以下のものでした。
白鳥(はくてう)は 哀しからずや海の青 そらのおをにも染まずたゞよふ
その子二十 櫛にながるる黒髪の おごりの春のうつくしきかな
【作者】与謝野晶子
【収録歌集】みだれ髪
【補足】
一般的に「その子」とは晶子自身と解釈されることが多い歌です。
たはむれに 母を背負ひてそのあまり 軽(かろ)きに泣きて三歩あゆまず
【作者】石川啄木
【収録歌集】一握の砂(我を愛する歌)
【補足】
啄木の母親は、体の弱い啄木が丈夫になる事を願って肉食を絶ったといわれています。
東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる
【作者】石川啄木
【収録歌集】一握の砂(我を愛する歌)
【補足】
「東海の小島」は「日本」の意味すると解釈されることがあります。
何ごとも 夢のごとくに過ぎにけり 万燈の上の桃色の月
【作者】北原白秋
【収録歌集】雀の卵
【補足】
万燈(まんどう)とは、仏前で灯す数多くの灯火のことをいいます。
のど赤き 玄鳥ふたつ屋梁(はり)にゐて 垂乳根の母は死にたまふなり
【作者】斎藤茂吉
【収録歌集】赤光
【補足】
玄鳥(つばくらめ)は「ツバメ」の別名で、「屋梁」の読みは「はり」です。
また、「垂乳根の(たらちねの)」は「母」に掛かる枕詞(まくらことば)で、特に意味を持ちません。
はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし) 楽にならざりぢっと手を見る
【作者】石川啄木
【収録歌集】一握の砂(我を愛する歌)
【補足】
この歌が詠まれたのは明治43年(肺結核により亡くなったのが明治45年)とされています。この年の 12月に第一歌集『一握の砂』が出版されていますが、当時の啄木の暮らしは楽ではなく多額の借金を抱えていました。
春の鳥、な鳴きそ鳴きそ、あかあかと 外の面(とのも)の草に、日の入る夕べ
【作者】北原白秋
【収録歌集】桐の花
【歌意】
春の鳥よ、(どうか)鳴かないでくれ、鳴かないでくれ。赤々と外一面の草(の中に)に日か入っていく夕方に…
ふるさとの 山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
【作者】石川啄木
【収録歌集】一握の砂(秋風のこころよさに)
【私感】
「ふるさとの山」は岩手山(いわてさん)のことと言われています。これが 2回使われてリズムを生み出しています。
頬につたふ なみだのごはず一握の 砂を示しし人を忘れず
【作者】石川啄木
【収録歌集】一握の砂(我を愛する歌)
【補足】
「のごはず」は「拭(ぬぐ)わないで」の意味です。
最上川の 上空にして残れるは いまだうつくしき虹の断片
【作者】斎藤茂吉
【収録歌集】白き山
【補足】山形・大石田町の虹ヶ丘公園には、この歌が刻まれた歌碑があります。
やは肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君
【作者】与謝野晶
【収録歌集】みだれ髪
【補足】
「さびしからずや」は、「さびしくないのでしょうか」の意です。
有名な短歌の作者たち
このページに集めた短歌の作者たちは、他にも優れた歌を数多く残しています。それらもあわせて是非とも鑑賞してみて下さい。
正岡子規 / まさおか しき
子規は明治時代の文学者を代表する一人で、俳句、短歌、随筆、評論など広い分野で創作を行ないました。
特に俳句と短歌においては多大な影響を及ぼしており、これらは子規によって改革されたといってよいでしょう。
与謝野晶子 / よさの あきこ
晶子が生涯で詠んだ短歌は 5万首にも及ぶといわれています。
その短歌には情熱的といわれるものも多かったので、人々からは「やは肌の晶子」と呼ばれていました。
若山牧水 / わかやま ぼくすい
牧水は生涯で約 9000首の歌を詠んだといわれています。
牧水は旅と自然を愛した歌人で、歌碑が日本の各地に多く残されています。
石川啄木 / いしかわ たくぼく
啄木は肺結核のため 26歳で亡くなりましたが、友人であった若山牧水に看取られています。
生前に発表された歌集は『一握の砂』だけで、後に歌集『悲しき玩具』などが刊行されるとともに評価が高まっていきました。
北原白秋 / きたはら はくしゅう
白秋は童謡、詩、短歌、新民謡、校歌など様々な分野で多くの作品を残しています。
特に「あめふり(あめあめふれふれ かあさんが…)」や「ペチカ(雪のふる夜は たのしいペチカ…)」などの童謡は有名です。
斎藤茂吉 / さいとう もきち
茂吉は 生涯で 18,000首にも及ぶ短歌を残した歌人ですが、精神科医が本業でした。
高校生のときに正岡子規の歌集を読んで感動して歌人を志しました。後に、子規に師事した伊藤左千夫に弟子入りし、短歌の創作に励みました。