てるてる坊主の由来は何なの? 中国の掃晴娘って何?
私は子供の頃、てるてる坊主は何度か作った記憶がありますが、今はどうなのでしょうか。
天気予報で雨が降り出す時刻までわかる現代に、てるてる坊主の効果というのも、いかがなものかという気もしてしまいます。
しかし、歌の歌詞にもあるように、「明日天気にしておくれ」と願いをこめて作るところに夢があってよいのかもしれません。
このページでは、てるてる坊主の由来などについてみていくことにしましょう。
てるてる坊主の由来は?
中国の掃晴娘
中国には「掃晴娘(サオチンニャン)」というものがあり、これが日本のてるてる坊主の由来と考えられています。
掃晴娘とは、紙を切って作った人形で、手には箒(ほうき)を持っています。
雨が降り続いたときに、この掃晴娘を門に掛けたり軒先などに吊るすなどすると空を掃いてくれて、やがて晴れになるというものです。
掃晴娘は、中国の元朝初期(1300年頃)の文献にも確認することができ、20世紀の初頭までは一般的な風習でした。
しかし、現在では廃れてしまったようで、私も中国の若い方に尋ねてみましたが、聞いたことがないとのことでした。
なお、年配の人であれば、雨が続いたときに空を掃く真似をすることがあり、それを掃晴というそうです。
また、北京には晴娘(チンニャン)の伝説があります。以下のような内容です。
昔、晴娘という名前の美しくて賢い、そして器用で切り紙が得意な娘がいました。
ある年の6月に大雨が続いて、北京は水が溢れかえっていました。
晴娘は大雨がおさまるようにと、天に向かって祈りました。
すると、「東海龍王の太子の妃になれ、さもなくば北京を水没させる」との声がありました。
晴娘が命に従がうことをつげると、大風が吹いて晴娘の姿はなくなり、雨はやんで空が晴れ上がりました。
そして、人々は晴娘をしのんで、雨が続くと人の形をした切り紙を門に掛ける「掛掃晴娘(グオサオチンニャン)」を行なうようになりました。
日本のてるてる坊主
日本では江戸時代の中頃に、晴れを祈るために紙を人の形に折ったものを吊るすことが行なわれていました。
1830年に刊行された随筆集である『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』には、「晴天になった場合は、瞳を書き入れて神酒(みき)を供てえ川に流す」という記述があります。
江戸時代には、これが次のように様々な名前で呼ばれていました。
- てるてる
- てるてる法師
- てるてる坊主
- てれてれ法師
- てり法師
- てりてり坊主
- てり雛
童謡「てるてる坊主」の歌詞
てるてる坊主の歌は、聞くと懐かしさを感じますね。良い曲です。
発表された当初は4番まであり、1番の歌詞が「もしも曇って泣いてたら 空をながめてみんな泣こう」というものでした。
後になって1番が削除されましたが、削除された理由は明らかになっていません。
発表当初の歌詞を再現すれば以下のようになります。
1番
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
もしも曇って泣いてたら 空をながめてみんな泣こう
2番
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
いつかの夢の空のよに 晴れたら金の鈴あげよ
3番
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
わたしの願いを聞いたなら あまいお酒をたんと飲ましょ
4番
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ
まとめ
- 日本のてるてる坊主の由来は、中国の「掃晴娘(サオチンニャン)」と考えられていて、これは紙を切って作った人形です。
- 日本では、江戸時代中期には晴れを祈るために紙を人の形に折ったものを吊るす習慣がありました。