江戸時代の三大俳人の【まとめ】
俳諧連歌(はいかいれんが)は、江戸時代にとても盛んであった文芸です。そして、明治時代に正岡子規によって、近代の俳句として確立されてゆきました。
この流れの中には、大きな活躍をみせた 3人の俳人の存在があります。その 3人とは、ご存知のように松尾芭蕉・与謝蕪村・小林一茶です。
このページでは、この「江戸時代の三大俳人」についてみていくことにしましょう。
江戸時代の三大俳人とは誰のこと?
江戸時代の三大俳人とは、よく名前が知られている次の 3人のことをいいます。
松尾芭蕉 (まつお ばしょう) |
1644年~1694年 |
与謝蕪村 (よさ ぶそん) |
1716年~1783年 |
小林一茶 (こばやし いっさ) |
1763年~1827年 |
単に「三大俳人」といった場合もこの 3人を指すことが多くみられます。なお、3人ともに江戸で生活していた時期があります。
それでは、それぞれについてみていきましょう。
松尾芭蕉
松尾芭蕉は、創作した俳句の芸術性が高い評価を得ていて、俳聖と呼ばれることもあります。
また、芭蕉の名前は世界的にも広く知られており、日本史上最高の俳諧師とも評されます。
俳句だけでなく、「月日は百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり」の書き出しで始まる紀行文『おくのほそ道』の評価も高いものです。
蕉風(しょうふう)といわれる句風を確立し、俳諧を芸術的に完成させました。なお、芭蕉自身は俳句(発句:ほっく=俳諧の第一句))よりも連句を好んだといわれています。
芭蕉の句は次のページに集めてあります。
与謝蕪村
与謝蕪村は『蕉風回帰』を唱えた俳人であり、芭蕉に強いあこがれを持っていました。それは、芭蕉の足跡を辿る旅をしたほどのものでした。
また、俳句のみならず画家としても多くの作品を残していて、俳画の創始者でもあります。
したがって、蕪村の句は絵画的、写実的といわれることが多いのが特徴です。
名前は『与謝蕪村(よさ ぶそん)』が正しいもので、書く場合に文字の「野」は入りませんし、読む場合の「の」も入りません。
なお、2016年は蕪村生誕 300年の年となりました。
蕪村の句は次のページに集めました。
小林一茶
小林一茶の生前の評価は、それほど高いものではありませんでした。
しかし、明治時代になってから正岡子規(まさおか しき)が高い評価をしたことによって、芭蕉、蕪村と並ぶ俳人として広く知られるようになりました。
正岡子規は『一茶の俳句を評す』の中で、一茶の特色は主として滑稽、諷刺、慈愛にあると述べています。
一茶の俳句には子供、小動物を詠んだ句も多く、とても親しみやすいものが感じられます。
一茶の句は次のページに集めました。
三代俳人の俳句の比較
芭蕉、蕪村、一茶の俳句で、同じ題材の句を選んで並べてみると、三者の句にそれぞれの特長がよく出ています。
まずは、「蝉の声」が詠まれたものをみてみましょう。
閑さや 岩にしみ入 蝉の声
(芭蕉)
鳥稀に 水また遠し せみの声
(蕪村)
小坊主や 袂のなかの 蝉の声
(一茶)
また、「蛙(かわず)」が詠まれた句も挙げてみましょう。
古池や 蛙飛びこむ 水の音
(芭蕉)
彳(たたず)めば 遠きも聞ゆ かはずかな
(蕪村)
艸(くさ)蔭に ぶつくさぬかす 蛙哉
(一茶)
このように並べて鑑賞してみると、3人それぞれの個性を理屈抜きに感じることができます。