建国記念の日の由来は「紀元節」?
日本の建国記念の日は 2月11日と日付が決まっているので、「今年はいつ? 何日?」といったことをあまり考える必要はありません。
このような日付が固定された祝日も、「ハッピーマンデー制度」ができてから減ってしまいました。
そして、建国記念の日が祝日として制定されるまでには、いろいろとたいへんなこともありました。
その経緯が、建国記念日とは一字違いの「建国記念の日」という名前に盛り込まれているのです。
そこで、この祝日について少し詳しくみていくことにしましょう。
建国記念の日の由来は?
建国記念の日は、1967年2月11日から実施されている国民の祝日です。
* 祝日については、こちらをご覧ください
この 2月11日という日付は、後で述べる『紀元節(きげんせつ)』に由来しています。
そして、祝日として制定される前の世論調査で、半数近くの人が支持した日付でもあります。
つまり、当時は「2月11日」という日付は人々に馴染みがあったといえるでしょう。
紀元節は1948年に廃止されたのですが、これを復活させようという動きが1950年代になって活発化しました。
この祝日を定めるための法案が最初に提出されたのは1957年(昭和32年)です。
その後、法案の提出と廃案が9回繰り返されましたが、成立には至りませんでした。
最終的に成立したのは、1966年(昭和41年)のことでした。
この難航を極めた祝日制定の名残りが、建国記念の日という名前と、日付が「政令で定める日」とされていることです。
つまり、この祝日の日付は、本法の成立時には決定してなかったのです。
なお、建国記念の日以外の国民の祝日の日付は、本法(国民の祝日に関する法律)で規定されています。
紀元節の意味と歴史
それでは、建国記念の日が2月11日となった由来でもある『紀元節』についてみていきましょう。
紀元節は、神武天皇(じんむてんのう=日本の初代の天皇)が即位したとされる日を、日本が建国された日として祝うものでした。
その歴史は、他の祝日よりも複雑です。表にしてみましたので、ご覧ください。
年号 | 内 容 |
1873年(明治6年)~ | 神武天皇即位の日として、1月29日が祝日になった |
1874年(明治6年)~ | 名称が『紀元節』となった |
日付が2月11日となった | |
1948年(昭和23年) | 紀元節が廃止された |
…… | …… |
1967年(昭和42年)~ | 2月11日が「建国記念の日」として祝日になった |
日付が変更になったのには、2つの理由がありました。
- 「紀元節は旧正月(旧暦の1月1日)を祝う日」という誤解が国民に広まった
- 1月29日は、孝明天皇祭(こうめいてんのうさい=明治天皇の父・孝明天皇の命日の1月30日に行なわれる)と前後する
これらの理由から、1月29日から2月11日へと日付が変更されたのです。
また、紀元節が廃止されたのは、第二次世界大戦後のGHQの意向によるものです。
現在は、各地の神社仏閣で「建国祭」などの祭りが行なわれていますね。
「建国記念日」と「建国記念の日」
2月11日を「建国記念日」とした場合、どのような問題があるのでしょうか。
こうすると2月11日が日本建国の日と限定され、紀元節に基づいていることもあり、次のような議論も出てきます。
- 天皇が即位した日をもって、建国の日とするのは正しいのか
- 2月11日の根拠はどこにあるのか、それは正しいのか
- そもそも神武天皇は神話上の人物ではないのか
などといったことです。
そして、これらすべてを解決するために「の」を入れて解釈の幅を広げたのです。
つまり、「建国記念の日」とすることによって、「日本が建てられたことを記念する日」という解釈もできるようにしたのです。
その結果、上の3つに対しても
- 天皇の即位があった日と限定していない
- 記念日を2月11日にしただけで、建国された日とはしていない
- 誰が建てたと限定していない
とかわすことができます。
たった一文字で、これだけの「あいまいさ」を生み出してしまう日本語には感心しますね。
まとめ
- 2月11日の建国記念の日は、以前の紀元節を由来としています。
- 紀元節は、神武天皇の即位日を日本の建国された日として祝うものでした。
- 建国記念の日は、紀元節を復活させようという動きがもとで設けられた祝日です。
- 「建国記念日」ではなく「建国記念の日」とすることによって、解釈の幅を広げています。