勤労感謝の日の由来は? 「新嘗祭」とは?
毎年 11月23日は国民の祝日・勤労感謝の日です。
この日に対して、私は小学生の頃には「いつも仕事をしている父親にプレゼントをする日」、つまり父の日のようなイメージを持っていました。
後になって、小説に出て来た「新嘗祭(にいなめさい)」という言葉を知ってからは、勤労感謝の日に対するイメージは違ったものになりました。
このページでは、勤労感謝の日とはどのような由来をもっているのか、新嘗祭にはどのような意味があるのかについてみていきましょう。
新嘗祭とは?
まずは、新嘗祭について確認しておきましょう。
新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい、にいなめのまつり)は、宮中で行われる祭祀(さいし)です。
「新」は新穀(しんこく:その年にとれた穀物、特にお米のこと)を、「嘗」はご馳走を意味しています。
日本では古い時代から、穀物の収穫を祝う風習がありました。
農耕国家にとって、収穫物はとても重要な意味を持っています。なぜなら、その年の収穫物は、それから後の一年を支える大切な蓄えとなるからです。
そして、飛鳥時代(あすかじだい 592年 – 710年)の皇極天皇(こうぎょくてんのう)が、収穫を祝う行事である新嘗祭を始めたと伝えられています。
なお、天皇が即位して最初に行なう新嘗祭を大嘗祭(だいじょうさい)といい、これに使用する新穀を作る田を斎田(さいでん)といいます。
新嘗祭は、1873年(明治6年)にグレゴリオ暦、つまり現在の新暦が採用されるまでは 11月の2回目の卯(う)の日に行われていました。
この「卯」とは、えとの「うさぎ」です。
1873年からは、新嘗祭を新暦の 11月の2回目の卯の日に行なうことが決まりました。
その日付けが 1873年は 11月23日で、1874年からは 11月23日に固定して行われるようになり現在に至っています。
つまり、日付け自体には特別な意味が無かったのです。
勤労感謝の日の由来は?
先に述べた新嘗祭ですが、1948年(昭和23年)に名称が「新嘗祭」から「勤労感謝の日」へと変わりました。
これは、第二次世界大戦後のGHQの占領政策によるものです。
GHQ(ジー・エイチ・キュー)とは、第二次世界大戦後に日本の占領政策(=日本の無条件降伏などを求めたポツダム宣言の執行)を行なった連合国軍の機関で、アメリカの軍人と民間人が多数を占めていました。
正式名称は General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers (連合国最高司令官総司令部)で、略称の「GHQ」あるいは「進駐軍(しんちゅうぐん)」と呼ばれます。
このように名称の変更があったとはいえ、長い歴史のある新嘗祭が根底にあるからこそ、11月23日は国民に定着している祝日となっているのでしょう。
しかし、「勤労感謝の日」という名称からは新嘗祭との結びつきがあまり感じられません。これは一体どのようにして決められたのでしょうか。
この名称は、先述の GHQが考案した Labor Thanksgiving Day という言葉を和訳して「勤労感謝の日」としたものなのです。
- Labor Day:多くの諸国におけるメーデーの名称で 5月1日、またアメリカ合衆国の祝日で 9月の第1月曜日。
- Thanksgiving Day:アメリカ合衆国の祝日で 11月の第4木曜日、いわゆる感謝祭のこと。
この2つの祝日を合わせて考え出されたのが「 Labor Thanksgiving Day 」です。
GHQの意向としては、古くから伝わる新嘗祭という祭祀が持つ国家的なイメージから離れたものにしたかったのでしょう。
日本における感謝祭であれば、新嘗祭よりもむしろ神嘗祭(かんなめさい、かんなめのまつり)のほうが勤労感謝の日に近いといわれています。
なお、神嘗祭も宮中の祭祀の一つで、五穀豊穣の感謝祭といえる性格のもので、宮中と伊勢神宮で儀式が行われます。
まとめ
- 勤労感謝の日は、新嘗祭の名称を変更した国民の祝日です。
- 新嘗祭は、1873年(明治6年)の改暦までは旧暦の 11月の2回目の卯(う)の日に行われていました。
- 「勤労感謝の日」は、Labor Day と Thanksgiving Day を合わせてできた Labor Thanksgiving Day を日本語に訳したものです。