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「和歌」と「短歌」は違いますか? 【わかりやすい定義】付き

奈良の山々

「和歌」も「短歌」も、形式だけをみると違いはないと言えるでしょう。

しかし、同じ 5 7 5 7 7 形式の詩歌であっても、和歌と短歌のどちらの呼び名が使われているかで、たまに違和感を覚えることがあります。

このページでは、和歌と短歌の意味が明確となるような定義をし、迷うことなく使い分けるができるようにしていきましょう。

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和歌と短歌は違うもの? 定義は?

まず最初に、和歌と短歌の定義をしてみましょう。

現代においては、それぞれ

和歌  5 7 5 7 7 形式の古典的な
短歌  5 7 5 7 7 形式の詩

とするのがわかりやすいと私は考えています。

どちらも形式は同じ「5 7 5 7 7(基本)」で、5 7 5 の形式である俳句や川柳などは当てはまりません。

違いとなる「古典的であるかどうか」は、明治時代以前 / 以降でとらえて問題はありません。

個人的には、正岡子規以前 / 以後で区別してよいと考えています。

また、和歌は序詞、縁語、歌枕といったものが重視され、近代の短歌ではそれらが基本的に否定されていると区別されることもあります。

なお、上の定義を「現代において」と限定したことと、和歌を「古典的」とした理由については、万葉の時代から和歌・短歌が持つ意味合いをみていくのが良いと思います。

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万葉集の歌

そもそも「和歌(わか)」という言葉は、「漢詩(かんし)」に対する「日本(語の)詩」という意味で使われていたものです。

『万葉集(まんようしゅう)』の題詞(だいし=詩歌の前文)にも「倭歌(わか)」「倭詩(わし)」という語が記載されています。

また、「和歌」は「やまとうた」と表現することもできます。

万葉集が成立したのは、およそ奈良時代と考えられていますが、この時代の「和歌」は必ずしも 5 7 5 7 7 形式ではありません。

それらを分類すれば、次のようになります。

長歌
(ちょうか)
 5 7 5 7 5 7 … 7
短歌
(たんか)
 5 7 5 7 7
旋頭歌
(せどうか)
 5 7 7 5 7 7
仏足石歌
(ぶっそくせきか)
 5 7 5 7 7 7

これらの総称として、「(うた)」という言葉があり、万葉集に収められているものを一般的にこう呼んでいたのです。

万葉集に最も多く収められているのは短歌形式のもので、全体の 9割以上を占めています。

時代的には、飛鳥時代から奈良時代にかけてつくられたものが大部分です。

そして、奈良時代から平安時代の初めにかけては、貴族の間では中国文化に対するあこがれが強まり、やがて和歌よりも漢詩がもてはやされるようになっていきます。

中国・桂林の風景

 

 

勅撰集の和歌

しかし、漢詩が主流であった時期にも、日本の文化の発展が停滞していたわけではありません。

唐風(中国)文化を取り入れつつも、日本文化を尊重し回帰しようという動きは常にありました。

やがて、遣唐使(けんとうし)の廃止仮名文字(ひらがな、カタカナ)の使用の影響もあって、国風文化(こくふうぶんか)と呼ばれる時代へと移ってゆきます。

これにともなって、和歌も以前のような勢いを取り戻しました。形式が 5 7 5 7 7 のもの(先述の短歌形式)が主流となり、和歌といえばこれを指すようになりました。

そして、『古今和歌集(こきんわかしゅう)』をはじめとして、多くの勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう=天皇の命による歌集)が生み出されてゆきました。

 【関連】 勅撰和歌集とは?

この後は、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代と時代が下って近代まで、和歌は伝統的に守られ続けてきました。

そして、明治時代になってから、ついに和歌の大革新が起こりました。その功労者として、まず名前が挙げられるのが正岡子規です。

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正岡子規の短歌

子規は新聞に発表した「歌よみに与ふる書(歌論)」によって、和歌の革新に大きな貢献を果たしました。

その中で、歌集と歌人について次のような評価をしています。

万葉集

歌集の
(『万葉集巻十六』より)

源実朝 第一流の歌人
古今和歌集 くだらぬ
新古今和歌集 ややすぐれたり
紀貫之 下手な歌よみ
藤原定家 上手か下手か
訳の分らぬ

「かく申す生(せい=自分のこと)も数年前までは『古今集』崇拝の一人にて候いし」とはしながらも、古今和歌集や紀貫之などは遠慮なく切り捨てています。

この「古今和歌集の否定」には拒否感を示す文学者もいるものの、『歌よみに与ふる書』が和歌・短歌に及ぼした影響は計り知れないものであり、日本の文学史上のキーポイントともなりました。

子規は短歌における「写生」を主張し、「根岸短歌会」を主宰して短歌の革新を進めてゆきました。

後に「根岸短歌会」は伊藤左千夫や長塚節らによって引き継がれ、子規の死後に『馬酔木(あしび)』『アララギ』などの短歌誌が生まれ、「短歌形式の詩」は大いに発展してゆきました。

 【関連】 正岡子規の短歌 100選

ピンク色の馬酔木の花

 

 

現代における和歌と短歌

このような経緯をふまえて、万葉集、古今和歌集をはじめとして江戸時代までに創作されたものを「和歌」、明治時代以降のものを「短歌」と呼び分けるのが現代では一般的となりました。

したがって、古今和歌集に収録されているものは「和歌」であり、「短歌形式の詩」という意味以外では「短歌」とは呼びません。

また、正岡子規の 5 7 5 7 7 形式の詩は「短歌」であり、これを「和歌」と呼ぶことはまずありません。

最近のウェブサイトなどでは、「 〇〇 の短歌」としながらも、古典的な和歌と近代的な短歌を一括り(ひとくくり)にしていることがありますが、両者はきちんと区別されるべきであると私は考えます。

当サイト(ジャパノート)においても、和歌と短歌を同じページに記載しているものもありますが、それぞれ別の項目に分けています。

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