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百人一首の「春の歌」9首 - はる -

満開の桜と五重塔

百人一首に収められた歌の中で、春について詠まれたものはそれほど多くありません。

しかし、小野小町や紀貫之といった著名な歌人の歌も含まれていて、それらはいずれもが百首の中でも輝きを放っているように感じられます。

このページには、百人一首の歌から「春」に関するものを集めました。春の気に満ちたこれらの名作を、是非ともゆっくりと鑑賞してみて下さい。

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百人一首の「春の歌」

 

いにしへの 奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな

【現代語訳】

いにしえの奈良の都の八重桜が、今日は宮中で美しく咲いています

【歌番号】61

【作者】伊勢大輔(いせのたいふ)

【採録】詞花和歌集(しかわかしゅう)、金葉和歌集(きんようわかしゅう)など

【補足】

伊勢大輔は平安時代中頃の女流歌人です。

中古三十六歌仙女房三十六歌仙の一人に数えられていて、紫式部(むらさきしきぶ)や和泉式部(いずみしきぶ)と交流がありました。

この歌は、奈良から献上された八重桜を受け取る役目を紫式部から譲られた作者が、藤原道長の求めに応じて即興で詠んだものです。詞書(ことばがき)には次のように書かれています。

一条院御時、奈良の八重桜を人のたてまつりて侍りけるを、
その折御前に侍りければ、その花をたまひて、
歌よめとおほせられければ、よめる

「いにしえ」と「今日」、「八重」と「九重」が対をなし、「いにしの ならのみやこのやざくら きょうここのににおいぬるかな」というリズムを持った名句です。

【派生歌】

春を惜しみ 折る一枝の八重桜 ここのへにもと思ふばかりぞ
 (飛鳥井雅経:あすかい まさつね)

八重桜の花

 

 

君がため 春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ

【現代語訳】

あなたのためにと春の野に出て若菜を摘んでいる私の袖に雪が降っています

【歌番号】15

【作者】光孝天皇(こうこうてんのう)

【採録】新撰和歌集(しんせんわかしゅう)、新撰朗詠集(しんせんろうえいしゅう)など

【補足】

光孝天皇については、平安時代に著された歴史書『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』)に次のように記されています。

天皇少(わか)くして聡明、好んで経史を読む。
容止(ようし=立ち居振る舞い)閑雅、謙恭和潤、慈仁寛曠、九族を親愛す。
性、風流多く、もっとも人事に長ず

【派生歌】

君がため 衣のすそをぬらしつつ 春の野にいでてつめる若菜ぞ
 (大和物語)

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高砂の 尾の上の桜さきにけり 外山の霞たたずもあらなむ

【現代語訳】

(かなたの)山々の峰の上の方に桜が咲いたなあ。(この里)近くの山に霞が立たないでほしいものだ

【歌番号】73

【作者】大江匡房(おおえのまさふさ)、小倉百人一首では「前中納言匡房」

【採録】後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)など

【補足】

正房の自著『暮年詩記』には次のような記載があります。

予四歳にて始めて書を読み、八歳にて史漢に通い、十一にて詩を賦して、世はこれを神童と言へり

【派生歌】

高砂の 尾の上のはなの雲井には 外山の霞およぶものかは
 (後柏原院:ごかしわばらいん)

吉野の山の桜

 

 

花さそふ 嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり

【現代語訳】

花を誘う嵐が、庭に(花を)雪のように散らせているが、降り(古り)ゆくのは我が身なのだなあ

【歌番号】96

【作者】西園寺公経(さいおんじ きんつね)、小倉百人一首では「入道前太政大臣」

【採録】新勅撰和歌集

【補足】

公経は平安時代末から鎌倉時代にかけての公卿、歌人です。

新勅撰和歌集の詞書に「落花をよみ侍りける」とあります。なお、この歌は新勅撰和歌集では雑歌(ぞうか)とされています。

【派生歌】

吹きさそふ 嵐の庭の花よりも わが身世にふる春ぞつもれる
 (正徹:しょうてつ)

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花の色は うつりにけりないたづらに わが身よにふるながめせしまに

【現代語訳】

花の色は、むなしく色あせて変わってしまいました。物思いにふけって長雨を眺めているうちに…

【歌番号】9

【作者】小野小町(おののこまち)

【採録】】古今和歌集、定家八代抄、三十六人撰など

【補足】

平安時代前期の女流歌人で、六歌仙三十六歌仙女房三十六歌仙の一人です。絶世の美女であったと伝えられていますが、詳しい血縁関係などは不明です。

【派生歌】

わが身よに ふるともなしのながめして いく春風に花のちるらむ
 (藤原定家:ふじわらのさだいえ)

桜の花

 

 

春の夜の 夢ばかりなる手枕に かひなくたたむ名こそをしけれ

【現代語訳】

春の夜の夢のような手枕によって、甲斐のない浮名が立ってしまうのは悔しいことです

【歌番号】67

【作者】周防内侍(すおうのないし)

【採録】千載和歌集、定家八代抄など

【補足】

周防内侍は平安時代後期の女流歌人で、女房三十六歌仙の一人です。

千載和歌集には、この歌の詞書が次のようにあります。

二月はかり 月のあかき夜 
二条院にて人々あまたゐあかして物語なとし侍けるに
内侍周防よりふして 枕をかなとしのひやかにいふを聞て
大納言忠家 是を枕にとて
かひなをみすの下よりさし入て侍けれは読侍ける

なお、この歌は千載和歌集では雑歌とされています。

【派生歌】

こぞもさぞ ただうたた寝の手枕に はかなくかへる春の夜の夢
 (藤原定家)

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久方の 光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ

【現代語訳】

日の光がのどかな春の日に、(なぜ)落ち着いた心もなしに花は散ってしまうのだろう

【歌番号】33

【作者】紀友則(きのとものり)

【採録】古今和歌集、定家八代抄など

【補足】

友則は平安時代前期の歌人で三十六歌仙の一人で、『古今和歌集』の選者の一人でした。しかし、完成を見ることなく亡くなりました。次の歌の作者・紀貫之とは従兄弟の関係になります。

古今和歌集の詞書には「さくらの花の散るをよめる」とあります。

「久方の」は「天」「空」「月」「光」などに掛かる枕詞です。

【派生歌】

ひさかたの 光のどかに桜花 ちらでぞ匂ふ春の山風
 (藤原家隆:ふじわらのいえたか)

春の青空に舞う桜吹雪

 

 

人はいさ 心もしらす古郷は 花そむかしの香ににほひける

【現代語訳】

さあ(どうでしょう)、(住む)人の心(が変わったかどうか)はわかりませんが、古里では花は昔の香りのままに匂っています

【歌番号】35

【作者】紀貫之(きのつらゆき)

【採録】古今和歌集、定家八代抄など

【補足】

貫之は平安時代前期の歌人で三十六歌仙の一人です。そして、『古今和歌集』の選者の一人でもあります。また、仮名文字を用いて著した『土佐日記』は、後の文学に大きな影響を与えた作品です。

古今和歌集の詞書には『梅の花を折りて詠める』とあるので、この歌の「花」は桜ではないことがわかります。

【派生歌】

人はいさ 心もしらずとばかりに にほひ忘れぬ宿の梅が香
 (正徹)

 

 

もろともに あはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし

【現代語訳】

(お前も私と)同じように愛しいと思ってくれ、山桜よ。(私には)花よりほかには知る人もいないのだから

【歌番号】66

【作者】行尊(ぎょうそん)、小倉百人一首では「前大僧正(さきのだいそうじょう)行尊」

【採録】金葉和歌集、八代集秀逸など

【補足】

行尊は平安時代後期の僧侶で、歌人としても広く知られていました。また、能書(のうしょ=字が上手な人)であったといわれます。

詞書に「大峰にておもひもかけずさくらのはなを見て詠める」とあります。なお、この歌は金葉和歌集では雑歌とされています。

【派生歌】

心あらば あはれとおもへ桜花 ひとりながむる宿のけしきを
(徳大寺実定:とくだいじ さねさだ)

 


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