雨の俳句を楽しむためのヒント
雨というものは、仕事や学校への行き帰りなどには憂鬱でうっとうしいように感じられます。
その一方で、時間に余裕があるときや手持ち無沙汰なときには、ぼんやりと眺めてしまうようなこともあります。
古くから文学作品においては、風情のあるものとして重要な役割を果たしてきたともいえるでしょう。
このページでは、「春雨」「五月雨」「梅雨」「夕立」「秋雨」などが詠み込まれた俳句について考えていきましょう。
雨の種類、言葉などは豊富です
一口に「雨」といっても、その種類・言葉・表現などの数はかなりのものです。
『雨の種類、言葉、表現の【一覧表】』のページにまとめたように、ざっと集めただけでも 100ほどになりました。
例えば、甘雨(かんう=草や木などをうるおす雨)、喜雨(きう=日照りが続いた後に降る雨)といった言葉などがあります。
これらからも、農耕が重要であった日本では、古くから雨に対して敏感に接してきたことがわかります。
そして、和歌、短歌、俳句などの文学作品にとっても、雨は欠かせない要素となっていきました。
それではまず、春雨、春の雨の俳句について考えてみます。
「春雨」「春の雨」の俳句
春雨に関して有名なものに
「春雨じゃ、濡れてまいろう」
というものがあります。これは、月形半平太(つきがた はんぺいた:幕末を舞台にした戯曲作品)の名台詞(せりふ)です。
春の雨はそれほど強く降るものでもなく、濡れていくのも悪くはないといった意味合いで、「春雨」が何とも風情のある響きを持っています。
俳句の中で、私が特に気に入っているのは
寂(じゃく)として 南殿さびしき 春の雨
という芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)の作品です。
「南殿」には次の 2つの意味があります。
- 桜の一品種である「南殿桜(なでんざくら)」のこと
- 紫宸殿(ししんでん=内裏の正殿)の異名としての「南殿(なでん、なんでん)」
芥川がどちらの意味の「南殿」を詠んだのかを、私は知りません。しかし、平安期を舞台とした王朝物と呼ばれる芥川の小説の印象が強烈なので、この俳句は後者の意味(紫宸殿)で解釈してもよろしいかと私は考えます。
【関連】 『春雨の俳句 30選』
「五月雨」の俳句
五月雨(さみだれ)の俳句で有名なものとして、次の 2つが挙げられます。
さみだれを 集てはやし 最上川
(松尾芭蕉「奥のほそ道」)
さみだれや 大河を前に 家二軒
(与謝蕪村「蕪村句集」)
芭蕉の句は広く知られていますし、評価もかなり高いものです。
また、後者を「蕪村の句またこれに劣らず」と正岡子規(まさおか しき)が評したことから、こちらも広く世に知られることとなりました。
なお、俳句の季語の季節感は旧暦によるものであり、大まかにいって新暦とは 1ヶ月ほどの違いがあります。(現代の暦を中心とすると、旧暦の日付は 1ヶ月ほど遅れます)
ですから、「五月雨」は夏の季語とされています。例えば、芭蕉が五月雨を詠んだものに次のような句があります。
五月雨に 御物遠や 月の顔
御物遠(おんものどお)とは「ご無沙汰(ごぶさた)」と同じ意味を持つ言葉です。
俳句の意味としては「五月雨のせいで、お月様の顔ともご無沙汰しているなあ」ということです。
つまり、五月雨は現代でいえば「梅雨」の相当するものと考えてよいでしょう。
【関連】 『五月雨の俳句 20選』
「梅雨」の俳句
旧暦の時代には、上で述べた「五月雨」が一般的であったため、「梅雨(つゆ)」という言葉が詠まれた俳句はあまり見かけません。
挙げるとすれば、次のものくらいでしょうか。
正直に 梅雨雷の 一つかな
(小林一茶)
降る音や 耳もすう成る 梅の雨
(松尾芭蕉)
芭蕉の句の「すう」は「酸う」で、「雨の降る音を聞いていると、耳も酸っぱくなる(梅の実の酸味とかけたもの)」といった意味です。
【関連】 『梅雨の俳句 40選』
「夕立」の俳句
夏の夕方の風物詩的な存在である夕立は、俳句に詠まれることが多いものです。
夕立も やみたる頃の 迎へ傘
これは高橋淡路女(たかはし あわじじょ)の作品です。
「迎へ傘(むかえがさ)」を頼んだものの、来てもらった頃に夕立が止みそうになるという光景がまざまざと浮かんでくるようです。
なお、江戸時代の俳人たちも夕立を詠んだ俳句を多く残していますし、特に一茶は「夕立」を好んでいたようにも感じられます。
しかし、松尾芭蕉の俳句で夕立を詠んだものは、現在まで見つかっていないはずです。せめて一句くらいはあってもよい気がしますが…
【関連】 『夕立の俳句 30選』
「秋雨」「秋の雨」の俳句
秋という季節には、冬に向かって少しずつ寂しさが強まっていくような感覚があります。そして、雨が降るとその寂しさは一層強まるような気がします。
秋雨に 縫ふや遊ぶ子 ひとりごと
これは、杉田久女(すぎた ひさじょ)の作品で、遊んでいる子供の物悲しいような表情が思い浮かぶような名句であると私は感じています。
私は俳句を読むときによくするのですが、初句の「秋雨」を「春雨」に置きかえて、まったく違った句として味わうのも一興かと思います。
【関連】 『秋雨の俳句 30選』