小林一茶の代表作【有名な10句】と子規の評価 ( 例句が 35あります )
小林一茶の俳句は、とてもわかりやすく親しみやすいものが数多くあるので、多くの人々に好まれてきました。
あどけない子供の様子を詠んだものや、「すずめ」「かえる」といった可愛らしい小動物を題材にしたものからは、何とも言えない「あたたかさ」を感じることができます。
このページには、小林一茶が残した数多くの俳句の中から、誰もが知っているような「代表作」と呼ぶにふさわしいものを 10句選びましたので、是非ともじっくりと鑑賞してみて下さい。
また、一茶の名前を世に広めることになった正岡子規の「一茶の俳句を評す」の内容を確認して、一茶に対する子規の評価についても考えてみることにしましょう。
目次
一茶の代表作 10句
小林一茶は生涯で約22000句を詠んだといわれていて、芭蕉の約1000句、蕪村の約3000句という数字からしても、群を抜いているといえるでしょう。
これらの句の中でも、現代の私たちがよく知っているものを 10句選んで、先頭の文字の五十音順に並べました。
いずれもが代表作、有名作品とされるものばかりですのでチェックしてみて下さい。
うまさうな 雪がふうはり ふわりかな
【季語】雪 - 冬
【補足】
「ふうはり ふわり」の表現が印象に残る句です。
次の句も雪を詠んだ一茶の句です。
雪国の 雪もちよぼちよぼ 残りけり
これがまあ 終(つい)のすみかか 雪五尺
【季語】雪 - 冬
【補足】
一尺は約 30cmですから、五尺は 1.5mほどになります。
我村や 春降雪も 二三尺
すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通る
【季語】すずめの子 - 春
【補足】
一茶は小動物の中でも「すずめ」を詠んだ句を多く残しています。
雀子や 人が立ても 口を明く
春風や 牛に引かれて 善光寺
【季語】春風 - 春
【補足】
長野の善光寺(ぜんこうじ)には、この句と次の句の 2句が刻まれた石碑があります。
開帳に 逢ふや雀も おや子連れ
名月を とってくれろと 泣く子かな
【季語】名月 - 秋
【補足】
4人の子供を幼くして失った一茶の心中を察すると、次の句からは強い悲しみが感じられます。
名月や 膳に這よる 子があらば
めでたさや 中位なり おらが春
【季語】春
【補足】
『おらが春』は一茶の俳諧俳文集の題名でもあり、このページで選んだ 10句のうちこの句をはじめとして「すずめの子 … 」「名月を … 」「我と来て … 」が収められています。
やせ蛙(がえる) 負けるな一茶 これにあり
【季語】蛙 - 春
【補足】
蛙を詠んだものでは、次の句も有名です。
悠然と して山を見る 蛙かな
やれ打つな はえが手をする 足をする
【季語】蝿 - 夏
【補足】
一茶の俳句には、「はえ」の他にも「蚊」「蛍」などの小動物を詠んだものが多く残されています。
蚊一つの 一日さはぐ 枕哉
夕暮や 蛍にしめる 薄畳
雪とけて 村一ぱいの 子どもかな
【季語】雪とけ - 春
【補足】
この句と似た趣向の句もあります。
里の子が 枝川作る 雪解哉
また、次の句も一茶が詠んだものです。
雪とけて 町一ぱいの 子どもかな
雪げして 町一ぱいの 子どもかな
我と来て 遊べや親の ない雀
【季語】雀 - 春
【補足】
次のように、この句に類似したものが残されています。
我と来て 遊ぶや親の ない雀
我と来て 遊ぶ 親の ない雀
正岡子規の評価
江戸時代には、小林一茶の名は世間に知られていたものの、それほど絶大な評価を得ていたわけではありませんでした。
しかし、明治時代以降は松尾芭蕉、与謝蕪村と肩を並べるほどの俳人として有名になりました。それは、正岡子規(まさおか しき)が「一茶の俳句を評す」を著したことによるものといえるでしょう。
ここではその内容を中心として、子規が挙げた「例句」とともに確認していきましょう。
滑稽・諷刺・慈愛が特色
まず子規は、一茶の俳句の特色として
- 滑稽(こっけい)
- 諷刺(ふうし)
- 慈愛(じあい)
の三点にあるとしています。
特に滑稽は一茶の独擅(どくせん=その人だけが思いのままに振る舞うこと)に属し、その軽妙さは数百年間の俳句の世界でも似た者でさえ見当たらないとしています。
例句としては次のものがあげられています。
春雨や 喰はれ残りの 鴨がなく
下谷(したや)一番の顔して 更衣(ころもがえ)
大根引 大根で道を 教えけり
寒念仏 さては貴殿で ありしよな
確かに、これらの句からは滑稽(=おもしろくおかしいこと)が存分に感じられます。
さらに、滑稽の手段として擬人法(ぎじんほう=人以外のものを人に見立てて表現する方法)を多用していることを指摘し、次の句を紹介しています。
庵の雪 下手な消えやう したりけり
あさら井や 小魚と遊ぶ 心太(ところてん)
罷(まか)り出でたるは 此藪の蟇(ひき)にて候
名月の 御覧の通り 屑家かな
其分に ならぬならぬと 蟷螂(とうろ)かな
行く秋を 尾花がさらば さらばかな
これらの句では、ピンク色の「もの」が人として表現されていて、それが滑稽に通じています。
また、滑稽が趣向でない句であっても、なお多少の滑稽が感じられると子規は述べています。
陽炎(かげろう)や 手に下駄はいて 善光寺
春日野の 鹿に嗅(か)がるゝ 袷かな
朝顔や 人の顔には そつがある
一文に 一つ鉦(かね)打つ 寒さかな
一茶の慈愛の心
子規は、一茶の句に子供の可憐な様子を詠んだものが多いものの、俳句としては見るべきもが少ないとしています。
そして「慈愛心は動物にも及べり」として、次の句が挙げられています。
雀子や 川の中にて 親を呼ぶ
竹にいざ 梅にいざとや 親雀
行け蛍 とくとく人の 呼ぶ内に
やれ打な 蠅が手をする 足をする
母馬が 番して飲ます 清水かな
雀、蛍、馬などは、これらの句以外にも多く詠まれている題材です。
俗語と新潮
一茶の俳句の形式的な特色として、俗語(=世間で普通に使われる言葉)を使用したことと新潮(しんちょう:5 5 調などの変調の 17文字)を行なったことを子規は指摘しています。
俗語の例句として
傘(からかさ)に べたりとつきし 桜かな
昼の蚊や だまりこくつて 後から
稲妻や うつかりひよんと した顔へ
梟(ふくろう)よ のほゝん所か 年の暮
「べたりと」「だまりこくって」「のほほん」などは他の俳人の句にはほとんど見当たらず、俳句に取り入れること自体が画期的であったといえます。
また、新潮の例句として
桜々と 唄はれし 老木かな
目ざす敵は 鶏頭よ 初時雨
きりきりしやん として咲く 桔梗哉
下谷(したや)一番の 顔して 更衣
を挙げています。
真面目なる句
子規は「真面目なる句」という表現をしていますが、これらには佳作が多いと述べています。
霞む日や しんかんとして 大座敷
茶も摘みぬ 杉もつくりぬ 岡の家
大蛍 ゆらりゆらりと 通りけり
大寺は 留守の体なり 夏木立
大寺の 片戸さしけり 夕紅葉
有明や 浅間の霧が 膳を這ふ
木瓜(ぼけ)の株 刈り尽されて 帰り花
夕月や 御煤(おすす)の過ぎし 善光寺
そして最後に、次の句が挙げられています。
三日月の 頃より待ちし 今宵かな
この句に対しては「無趣味の句」としていて、これを一茶一代の秀逸とするなどはもってのほかであると述べています。
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