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日本の文化といえば…を集めて【一覧】にしました -衣・食・住・生活・行事-

日本庭園

日本の文化といえば、まず何が思い浮かぶでしょうか。それらは人それぞれでしょうが、共通したものが多くなるはずです。

というのは、特別に意識してきたたわけでもなく、日本で生活してきた中で自然と身についたものが数多くあると考えられるからです。

このページには、「日本の文化といえば?」「和の文化といえば?」といわれたときに出てくるであろうものを、失われつつあるものを意識して集めてみました。日本の良さを感じさせてくれるものばかりですので、是非チェックしてみて下さい。

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日本の文化といえば -衣-

 

十二単(じゅうにひとえ)

十二単は平安時代の女性用の装束(しょうぞく)で、皇族や貴族の衣服です。その重さは 20kg程もあり、20枚以上を重ねて着たら歩けなくなったという記載がある文献も残されています。

重ねて着たときの色の組み合わせの種類の数はおびただしいもので、季節や行事によって厳密な決まりがありました。季節を無視した着用をすると「センスがない」とされるので、当時の女性は着こなしの工夫がかなり必要とされました。

 

 

着物(きもの)・浴衣(ゆかた)

現在では、日常生活で和服を着用することは少なくなりました。しかし、結婚式、成人式をはじめとした冠婚葬祭には着物がかかせません。

また、盆踊りや花火大会などのイベントでは浴衣が広く着用されています。

海外でも和服は評価されていて、「kimono」という言葉で通用するまでになっています。

 【関連ページ】  

 浮世絵の女性

 ⇒ 着物と浴衣の違いは?

 

 

羽織(はおり)

羽織は、丈の短い着物の一種とされています。上着ではないため、室内であっても(男・女共に)脱ぐ必要がないものです。

戦国時代には武士が、戦場での防寒着として陣羽織(じんばおり)を甲冑(かっちゅう)の上から羽織っていました。

江戸時代の中頃には、深川芸者が羽織を着るようになったといわれており、徐々に女性にも羽織は広まってゆきました。

 

 

足袋(たび)

足袋は、和服を着るときに用いられる衣類の一種です。

鹿の皮からつくられた単皮(たんぴ)が足袋の語源とされていて、奈良時代には存在したと考えられています。

江戸時代になってからは、木綿でできたものが広く普及してゆきました。

ブランド名として、「福助足袋」「ゑびす足袋」「文楽足袋」などが知られています。

 

 

下駄(げた)

近年は、浴衣の流行とともに下駄の良さも見直されてきています。しかし、意識して履こうとしないと、接する機会は少なくなってしまいました。

下駄に関する慣用句をいくつか挙げておきましょう。

  • 下駄を預ける=物事を全面的に相手に任せること
  • 下駄を履かせる=一定の数を足すこと
  • 下駄を履くまでわからない=勝負などの結果が、すべて終わるまではわからないという例え

 

 

扇子(せんす)

かつて扇子は、「あふぐ(扇ぐ)」という言葉から派生した「扇(あふぎ→おうぎ)」という名前で呼ばれていました。

平安時代には、単にあおいで風を起こす道具というだけでなく、和歌を書いて贈ったり、花を載せて贈り物とすることなどが行なわれていました。

 

 

風呂敷(ふろしき)

海外からカバン類が入ってきたことにより、明治時代以降の風呂敷の利用は減ってきました。しかし、包むものの形状に対して柔軟に対応することができ、使い終わってたたんでしまえば、ほとんどかさばらないというとても便利なものです。

近年では、風呂敷の自在性が環境問題にも貢献できるとして見直されてきています。

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日本の文化といえば -食-

 

お節料理(おせちりょうり)

現在では「お正月の料理」のことをいいますが、本来は節句(せっく)に作られる料理のことを指していました。

奈良時代のものは高く盛ったご飯などであり、現在の正月料理のような形になったのは江戸時代以降と考えられています。

 

 

刺身(さしみ)

現在では、海外でも「sashimi」で通じることが多くなってきています。周囲を海で囲まれている日本では、魚介類を生で食べる習慣は当然のものといえるでしょう。

お造り(おつくり)のような料理としての刺身は、江戸時代に江戸地方で急速に発達したものです。

 

 

寿司(すし)

寿司も、今や「sushi」で通じるような世界的な料理となりました。江戸時代の江戸前寿司(握り寿司)から全国的に広まったもので、江戸っ子好みの郷土料理といえるでしょう。

 

江戸前寿司

 

 

蕎麦(そば)

かつては、粥、蕎麦掻き(そばがき)、蕎麦焼きという形態で食べられていました。現在のような麺の形が生まれたのは16~17世紀のことといわれ、蕎麦掻きなどと区別をするために「蕎麦切り(そばきり)」と呼ばれていました。

 

 

天ぷら(てんぷら)

天ぷらは、江戸時代には寿司、蕎麦などとともに屋台料理として人気がありました。屋台ではなく店舗を構えた「天ぷら店」が現れたのは幕末の頃でした。

徳川家康のが鯛の天ぷらを食べ、その後に体調を崩して亡くなったという話がありますが、現在では俗説であるとされています。

 

 

すき焼き(すきやき)

一般的なすき焼きには、薄く切った牛肉、葱、白菜、春菊、白滝、焼き豆腐などの具材が用いられ、溶き卵(ときたまご:生の鶏卵をかきまぜたもの)につけて食べることが多くみられます。

しかし、国内の各地方で調理法には違いがあり、使用する野菜も地方や家庭によって様々です。

すき焼きの起源は、魚介類と野菜を味噌で煮た「杉やき」、あるいは鋤(すき)を用いて鶏肉・魚肉を焼いた「鋤やき」であると考えられています。

 

 

醤油(しょうゆ)

醤油は日本料理にとって欠かせない調味料であり、日本の食文化の基本ともいえるものです。

原料は、大豆・小麦・トウモロコシ・砂糖・塩などです。

醤の当て字として「正」を用いて「正油」と表記されることがあります。

日本農林規格(JAS)では、醤油は「溜り(たまり)」「濃口(こいくち)」「淡口(うすくち)」「白(しろ)」「再仕込み(さいしこみ)」の五つに分類されています。

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日本の文化といえば -住-

懐かしい感じがする映像です。

 

縁側(えんがわ)

近年の住宅事情から、縁側を見かけることは少なくなってしまいました。

家の中から庭先へ直接下りる、あるいは逆に庭から屋内へ直接上がることができる造りは、日本ならではのものです。

 

 

枯山水(かれさんすい)

枯山水とは、日本庭園の様式の一つで、水を使わないのが特徴です。外国人観光客の人気も高いですし、平成の後期には、国産の「枯山水」というボードゲームもヒットしました。

 【関連ページ】

 枯山水

  ⇒ 枯山水とは?

 

 

障子(しょうじ)

木枠に紙を張って明かりを通すようにしたものは「明障子(あかりしょうじ)」といい、平安時代から広く使われるようになったものです。

古くから、日本の家屋にとって欠かせない存在でした。しかし、近年にはあまり見られなくなりました。

 

 

屏風(びょうぶ)

屏風は、部屋を仕切ったり装飾するために用いる道具(あるいは家具)で、名前は「風を屏ぐ(ふせぐ)」ことに由来しています。

中国の漢時代には存在していて、日本へは飛鳥時代に伝来したといわれています。そして、室町時代には水墨画や多彩色の絵が描かれるようになり、しだいに屏風絵が発展してゆきました。

また、金箔・切箔・金砂子などを使用した金屏風の制作も、この頃から盛んになりました。

 

 

畳(たたみ)

は日本独自の文化であり、世界に類がないといわれています。古代でいう「畳」は、莚(むしろ)、茣蓙(ござ)などの薄い敷物を指す言葉でした。

現在の畳に近いものとなったのは、平安時代に入ってからのことです。

 

 

襖(ふすま)

は寝所の間仕切りとして考え出されたもので、かつては「障子(ふすましょうじ)」「唐紙障子(からかみしょうじ)」と呼ばれていました。

平安時代に、この襖から派生したものが、先に述べた明障子(あかりしょうじ)です。

 

 

床の間(とこのま)

床の間は、座敷(=畳の部屋)につくられた座敷飾りの一つです。正式名称は「床(とこ)」ですが、多くの場合「床の間」と呼ばれます。

また、座敷に床の間があることを「床の間付き」といいます。

 【関連ページ】

 

  ⇒ 床の間とは?

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日本の文化といえば -生活-

 

お地蔵さん(おじぞうさん)

お地蔵さんとは、仏教世界の「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)」のことです。この地蔵菩薩と民間の道祖神信仰(どうそしんしんこう)が結びついて、いたるところに安置されるようになったのです。

 【関連ページ】

 お地蔵さま

 ⇒ お地蔵さんの意味は?

 

 

吉日(きちじつ)

吉日とは、「縁起のいい日、何かをするのに良いとされる日」のことをいいます。暦で見かけることも多く、一般に広く知られれているものに「大安」「一粒万倍日」「天赦日」があります。

 【関連ページ】

 二つの扇

  ⇒ 吉日とは?

 

 

十二支(じゅうにし)

十二支は、以下の 12種類からなっています。

  • 子(ね / し)
  • 丑(うし / ちゅう)
  • 寅(とら / いん)
  • 卯(う / ぼう)
  • 辰(たつ / しん)
  • 巳(み / し)
  • 午(うま / ご)
  • 未(ひつじ / び)
  • 申(さる / しん)
  • 酉(とり / ゆう)
  • 戌(いぬ / じゅつ)
  • 亥(い / がい)

この十二支と十干(じっかん)の組合せを「十干十二支」あるいは「干支(えと、かんし)」といいます。

 

 

七福神(しちふくじん)

七福神とは一般的に、以下の七柱(はしら:神様の数え方の単位で、「人」では数えません)をいいます。

  • 恵比寿(えびす)
  • 大黒天(だいこくてん)
  • 寿老人(じゅろうじん)
  • 毘沙門天(びしゃもんてん)
  • 福禄寿(ふくろくじゅ)
  • 弁財天(べんざいてん)
  • 布袋(ほてい)

このうち、日本古来の神様は恵比寿様だけです。

 【関連ページ】

 宝船に乗った七福神

  ⇒ 七福神とは?

 

 

縁起物(えんぎもの)

縁起物とは、家内安全・無病息災・五穀豊穣・商売繁盛・招福などの良いことを願ったり祝うためのものです。

動物では「鶴と亀」「金魚」「十二支の動物」などが、食べ物では「寿司(すし)」「鯛(たい)」「海老(えび)」などが縁起物とされます。

 【関連ページ】

 一対のタンチョウ

  ⇒ 縁起物とは?

 

 

迷信(めいしん)

迷信とは、「合理的な根拠はないが、人々に信じられていること」といえますが、中には科学的に正しいものもあり、「まったく意味がないもの」とは言い切れないこともあります。

 【関連ページ】

 光の道

 ⇒ 日本の迷信 【一覧】

 

 

わびさび

わび」と「さび」は、日本人がもつ美意識を表現した言葉です。現代では、「わび」と「さび」をひとまとめにした「わびさび」という言葉が使われるようになりました。

 【関連ページ】

 わびさびを感じる風景

  ⇒ わびさびとは?

 

 

日本の文化といえば -行事-

 

正月(しょうがつ)

正月には、正月飾りをする・お節料理を食べるなどして、旧年の無事と新年を祝います。

かつての正月は、お盆のように祖先の霊を慰める行事でした。

なお、旧暦の 1月 1日は旧正月(きゅうしょうがつ)、新暦の 1月15日は小正月(こしょうがつ)と呼ばれます。

 

 

節分(せつぶん)

節分は雑節の一つで、本来は立春・立夏・立秋・立冬の前日のことですが、現代では特に立春の前日をいうことが多くなっています。

古くには、季節の変わり目に生じる邪気を払うための行事とされていました。

この邪気(=鬼)を追い払うために、豆まきが今日でも行なわれています。

豆まきの際には、一般的に「鬼は外、福は内」という掛け声がかけられます。

 

 

彼岸(ひがん)

彼岸も雑節の一つで、春分と秋分を中日(ちゅうにち)とし、その前後の 3日間を加えた各 7日間の期間です。

彼岸の始まりは、極楽浄土があるとされた西方に沈んでゆく太陽を春分・秋分に拝むことでした。

やがて、彼岸は祖先を供養する行事へと変わって人々に定着しました。

供え物として、春の牡丹餅(ぼたもち)と秋の御萩(おはぎ)がありますが、春の牡丹と秋の萩にちなんだ呼び名が違うだけで、これらはおなじものです。

 

 

花見(はなみ)

花見は奈良時代から貴族らによって行なわれていた行事と言われています。

当時に鑑賞されていたのは梅の花で、平安時代に対象が桜の花へと移って行きました。

日本の歴史上では、安土桃山時代に豊臣秀吉(とよとみひでよし)が行なった「吉野の花見」が大がかりな花見として有名です。

この後、江戸時代には庶民にも花見の風習が広まりました。

 

 

端午(たんご)

端午は五節句(ごせっく:人日・上巳・端午・七夕・重陽)の一つで、「端午の節句」や「菖蒲の節句」とも呼ばれています。

「端」には「最初、始め」という意味があり、そもそも端午は 5月の最初の午(うま)の日を意味していましたが、やがて 5月 5日のことをいうようになりました。

なお、前出の五節句の日付はすべて、月と日の数字が重なっています。

  • 人日:1月 1日
  • 上巳:3月 3日
  • 端午:5月 5日
  • 七夕:7月 7日
  • 重陽:9月 9日

 

 

衣更え(ころもがえ)

衣更え(衣替え)は、季節の移り変わりによって衣服を替えることで、多くの地域で 6月 1日と10月 1日に行なわれています。

この風習は古くに始まり、平安時代には旧暦の 4月 1日と10月 1日に行なわれて「更衣(こうい)」と呼ばれていました。

また江戸時代には、幕府は年に 4回の衣更えで出仕することを制度化していました。

 

 

七夕(たなばた)

七夕も五節句(ごせっく:人日・上巳・端午・七夕・重陽)の一つで、「星祭り(ほしまつり)」とも呼ばれています。

この行事は、奈良時代に中国から日本へ伝わったものです。

なお、中国・日本のみならず、韓国やベトナムなどアジア圏に広くみられます。

 

 

お盆(おぼん)

お盆は祖先の霊をまつる行事で、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)に由来します。

かつては旧暦の 7月15日を中心とした期間に行なわれていましたが、明治時代の改暦以降は新暦の 8月15日をお盆(月遅れ盆)とする地域が多くなりました。

旧暦で行なうお盆は旧盆(きゅうぼん)と呼ばれています。

 

 

月見(つきみ)

月見は「観月(かんげつ)」ともいわれ、古くからあった風習です。

特に、旧暦の 8月15日の「八月十五夜」、旧暦 9月13日の「九月十三夜」の月見が主に行なわれています。

 

 

運動会(うんどうかい)

運動会は、「体育祭」「体育大会」などとも呼ばれることもある体育的な行事です。

日本で最初に運動会が行なわれたのは、1874年に海軍兵学寮でのものとされています。

明治時代には小・中学校、大学、専門学校などで開催されるようになり、運動会は次第に広まってゆきました。

 

 

七五三(しちごさん)

現代では、七五三は一つの行事のように行なわれていますが、古くには次の三つの別々な行事が行なわれていました。

  • 髪置の儀(かみおきのぎ):3歳
  • 袴着の儀(はかまぎのぎ):5歳
  • 帯解の儀(おびときのぎ):7歳

これらが七五三の由来とされています。

 

大晦日(おおみそか)

旧暦では毎月の末日を晦日(みそか:三十日)といい、12月の晦日を大晦日といいました。

また、晦日の別名に「つごもり」があるので、大晦日は「大つごもり」とも呼ばれていました。

大晦日には、次のような年越しの行事が行なわれます。

 

 


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⇒ 風習と文化の違いは?

  ⇒ 風物詩とは?

⇒ 有名な俳句

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